投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月18日(日)10時34分30秒  

大聖人の生きた時代は「末法の初め」であり、まだ像法時代の残機(衆生の機)が色濃くありました。

そんな衆生を前にして、「さあ、お前たち、私の顕した御本尊は末法の衆生の機根に叶ったものだぞ。だから、今までの教えを捨てて、今までの本尊観を捨てなさい」と言ったらどうでしょう。
一発で、大聖人の仏法は終ってしまいます。

だから大聖人は、面倒でも、厄介でも、回りくどいほど、言葉を選び、
時を選び、相手を選んで法門を読ませ、御本尊を流布していったのだと思います。
文永十年、御本尊を受けたはずの四条金吾は、娘の病気を機に「建治二年と弘安二年」に
釈迦像を作って供養していることが、御書の中に見えます。

御本尊を受けてから建治二年は三年、弘安二年は六年も後のことです。
それに対して大聖人は、釈迦像を作ったことをなじるのではなく、一応認め、
そのうえで題目を唱えるように指導しています。
それほどまでに、像法時代の衆生の残機を消すのが難しかったのです。
その作業は、現代の私たちの想像をはるかに超えたものだと思います。

天台の法門は、末法には無用であっても、理を尽くして説いているがゆえに、
これほど理解しやすく、信じやすく、抜け出しにくい法門はないのです。
創価学会は、二十一世紀を目前にして宗門から破門されました。
その出来事によって、像法時代の残機を消すことが出来たのです。

しかし、学会八十五年の歴史の中で、宗門と別れたとは言え、まだ二十年あまりです。
まだまだ、学会内にも宗門残機が残っています。
これはある意味で当然のことでしょう。

それを思えば「新たな新時代の展開に入った」とはいえ、まだ「新世紀の初め」なのです。
言葉を選び、時を待ち、時を作って、ゆっくり舵を切らざるを得ないと思います。
だれそれが書写しただの、板だの紙だの、
「大」を付けるだの付けないだの、
中心の御本尊を決めるだの決めないだの、・・・・・これは化法なのですか、化儀なのですか。

宗門残機――。

結局は、七百五十年前の人たちが、像法時代の「残像」を引きずって生活していたと同じく、
宗門の「残像」を引きずって生活しているのとあまり変わりはないと思います。

だから、破門された日は、魂の開放日ともいえる「魂の独立記念日」なのだと思います。