【創価思想の永遠性と偶像化】5/8 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月 5日(日)12時09分11秒

この文殊師利菩薩が語る日月灯明仏の話は、序品第一の「散文と偈頌」でほぼ同じ
内容ですが、偈頌のほうがより詳細で踏み込んだ内容になっています。

この偈頌の内容を見ていくと方便品以降の法華経全体の内容と密接に関連していることがわかります。

ここで語られていることは、

まず日月灯明如来という同じ名前を持つ仏が二万いたという表現は、言い換えれば、仏と同じ境涯、
仏と同格者が多数存在するとも取れるし、集団全体を一つの仏として表現しているとも取れます。

これは宇宙において仏は普遍的に存在するという大乗仏教の仏陀観を示しているのだと思います。

また

日月灯明如来は「声聞・縁覚・菩薩」の境地を求める者のために、
それぞれの機根に応じて四諦・十二因縁・六波羅蜜の教えを説いたとされていますが、

これも方便品で釈尊が三乗を化導するために、それぞれ機根に応じて教えを説いてきたことに符合します。

つまり、機根に応じてさまざまな方便の教えを説くという化導方式は、
日月灯明如来も釈尊も同じであるということです。

さらに、

八人の王子が妙光菩薩の教化によって成仏し、そのあと彼らが
人々の仏法指導者となって衆生を救済していくとされていることは、

仏弟子が救われる存在から救う存在へと変化していくことを示しています。

弟子が仏と同じ心で、仏が説いた法と同じ法を説いていく――まさに如是我聞です。

諸経の王と謳われた法華経は、冒頭から「師弟不二」の在り方を強調している経典なのです。