投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 3月 7日(月)21時29分57秒

多様性万歳様

多様性万歳様のおっしゃるように、善悪不二ですから、完全に悪を滅するということは不可能です。悪を滅するというのは一念を指し、その覇気なくしては対峙することはできない。信心は、永遠に仏と魔との闘争ですから、悪を滅するとは、悪と戦い続けるということを意味します。戦うことをやめれば悪に飲み込まれますので、一生涯、信心を貫くことが大事なわけです。

仏法は内道であり、依正不二です。それは、すべて自分の事として捉えていく法門です。外界で行われている魔王の振る舞いもまた、己心の魔王の具現化であり、自身と関係がないということではありません。悪には悪の役割があり、それは、己心に悪が存在することをわからせ、自身と向き合うことを教えてくれます。

悪を責めることは同時に、自身の中の悪と向き合うことでもあります。悪は、冥伏しているだけで、厳然と自分の中に存在するのです。悪と戦うということは、悪に感応してしまうこともあるので注意が必要です。自身の悪とは向き合わず、ただ外界の悪を自分と違った存在として責めるのであれば、いつしかミイラ取りがミイラとなるように、自身もまた悪に染まっていく恐れがあります。おそらく、多様性万歳様が懸念されていることは、このあたりではないでしょうか。

ガンジーが暴力には非暴力で対抗したように、傲慢には謙虚さで、話を聴かないのであれば、聴く姿勢で、雑さには丁寧さで、横柄には誠実で対応していく。日常の、一挙手一投足が悪との戦いであり、私はそれを心掛けています。掲示板に投稿する際も、あくまでも礼儀正しく、言葉も丁寧に、わかりやすい内容にすることを意識しているのは、それが現在問題視している執行部とは逆の振る舞いだからです。傲慢では、共感と納得を生むことはできない。たとえ正義でも、傲慢であっては味方をつくることはできない。悪との戦いは、紳士・淑女の振る舞いであってこそうまくいく。

人間主義とは人間讃歌であり、それは、謙虚・誠実・丁寧・話を聴く・同苦・納得となって現れなければ嘘です。この逆が官僚主義であり、傲慢・不実・雑・話を聴かない・一方的な姿勢・不服となって現れます。人間主義と官僚主義との壮絶なせめぎ合いこそが、組織の実態というものです。

悪を生み出す弱さは誰にでもあり、紙一重の問題です。それが一念三千です。力がつけばつくほど、立場が上になればなるほど、自身の弱さと対峙していかなければなりません。学会では、幹部になればなるほど、増上慢という魔の風が吹き荒れます。弱さと対峙できなければ、自分は偉いと錯覚し暴走する。そういう人間は、自身に過ちがあったとしても認めることができなくなる。これ、まさに弱さである。

共感と納得を生めなければ、悪と戦うことはできない。大誠実こそが要です。それが人間主義の世界であり、真の創価の姿です。官僚主義を廃し、「人間讃歌の永遠の都」を構築することが、すべての学会員の望みであり、希望であることを確信します。宿坊の掲示板が、そのきっかけや原動力になることが価値なのです。