2016年3月5日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月 5日(土)14時59分27秒 ■指導者は「生死の哲学」をもて さて、十一世紀のキルギス。詩人で大学者のバラサグンは、壮年時代に、つづっている。 「いずれやってくる死を考えて生きよ! 墓に入ってから苦しまないように」 日蓮大聖人も「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と説かれている。 人生の目的、生命の目的とは何か? そして生死とは何か? この根本の哲学的な思索が、人間にとって最も大事である。なかんずく、人の指導者となる人間に「生死の哲学」がなければ、根無し草のようなものである。民衆を幸福へと導けるはずがない。 自分自身が、どう生きるべきか、確固たる哲学がない。哲学を求めようともしない。それでいて、いばっている。それでは、あまりにも傲慢であり、人間失格ではないだろうか。 どんな権力であっても、いずれ、はかなく幻のように消え去ってしまう。 妙法という「大宇宙の永遠不滅の法則」に生き抜く皆さまの人生こそ、永遠不滅である。 地位や富など問題にならない。最高の人生であることを確信していただきたい。(拍手) さらに、このキルギスの壮年の大詩人は訴えている。 「人のために働かないのは、墓にいるようなものだ。死人になるな! 力あるうちは人に尽くせよ!」 きょうは、わが壮年部の記念日である。壮年部こそ広布の黄金の柱である。 どうか壮年部の皆さまは、はつらつと、若々しく、率先して「皆のために行動する」人生を送っていただきたい。(拍手) ~池田大作全集90巻「8.24」記念第36回本部幹部会、第1回壮年部幹部会、キルギス国立教育大学付属東洋言語文化大学「名誉教授」就任式 (1999年8月24日)~ Tweet