投稿者:SaySaySay 投稿日:2016年 3月 4日(金)23時21分16秒

「一人ひとりを大切にしなくなったら創価学会と言えども邪教なんだ!」
池田先生が同中でこう言われたことを、当時(1990年頃)入信間もなかった私は嬉しかった。こういう指導者がいる宗教に自分は入ったんだと。

池田先生も「宗教と言うものが嫌いだった。人をバカにし、騙し、威張る」と言われていましたが、私も同じです。自分の母親の位牌を燃やされて(時期的にはあの山口闘争の頃)以来、学会を憎んでいる私の父は、今も私に学会をやめろと言います。

私が最も大切にしている池田先生の言葉(のひとつ)は「しかし、法は正しい」というものです。(最近はジョーカーさんに教わった「何があってもゲラゲラ笑っていけ」も加えました。)

創価学会という衆生世間にも十界が五具していて、「創価学会仏」としても地獄界が出ることもあります。
それを冥伏させつつ、より高い境涯を顕現するには、それに応じた「因」を創る必要があり、闘う必要があり、全宇宙では何事も決して「無条件」であったり無謬であることはないことを仏法は説いていますよね。
この「決意」や「覚悟」に私は憧れがあり、尊敬があり、惚れ惚れとするのです。
それをとことん徹する池田先生の、見方によれば「青臭い」ところに心を打たれるのです。

何年か前の大白(座談会?)御書で、報恩抄「日蓮が慈悲曠大“ならば”南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」の訳を「日蓮は慈悲広大“であるから”」とあったのを見た時、本部は悪い方向に行っているのではないかと心配しました。
この報恩抄での御文には大聖人の「ご決意」「ご覚悟」「闘争」があるのであって、緩い意訳をするべきではないと思うのです。
御本仏という「役職」だから、「無条件」で慈悲広大なんだと言われているとは思えません。

創価学会といえども「無条件」で何でもOKではない、と池田先生は言われているのですよね?
いつまでも「“一人ひとりを大切にする”創価学会」であって邪教にならないためには、創価学会も闘う必要があります。
多くの人がいて、化学反応して成る「衆生世間・創価学会」が常に「“人間革命”の団体」であらんとすることが、そうキープすることが、池田先生が言われるところの「学会を護る」ということだと思います。そのためにも「悪と闘う技術」は不可欠なのだと思います。
池田先生が「悪い幹部が現れたらみんなで追い出してくれ」と言われたのは、そういうことだと思います。

そう、もう一つ、私が大切にしている池田先生の言葉(のひとつ)がこれです。
「幹部なんか喜ばしてもしょうがない」(「御本尊に喜ばれる」=人間革命=「功徳を受けること」が大切だという意味と理解しています。河合一さんが言われていたのは、このことですよね?)