2016年1月12日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月12日(火)11時03分41秒 通報 根本二部の分裂は表面的には“十事の戒律”をめぐる争いのように見えますが、 その本質は上座部が出家僧中心の閉鎖集団に陥っていたという背景があるようです。 出家僧の弟子たちは民衆から離れ、超世俗的な修行に閉じこもり、 釈尊の教えである“経と律”の文々区々をどれだけ多く知っているか、 また出家してからどれだけ長く年数を経ているかが、教団内の「阿羅漢(聖者)」と呼ばれる条件となっていました。 しかし、大乗経典ではとくに「菩薩」のあり方が強調されています。 それは出家修行者は自らの解脱を目指すだけでなく、 広く大衆を教化するために「利他行」を積極的になすべきであるというものです。 このようなことから初期の経典は、教団の出家僧を対象にしたものであったため、 現実に大衆のなかに飛び込んで、布教活動している弟子には受け入れがたいものがありました。 大乗教徒はバラモン教徒とも積極的に論争し、それを打ち破っています。 彼らは僧院に閉じこもるのではなく、仏法思想を社会に開かれたものにしたのです。 大乗経典には政治上の権力者である「王」の在るべき姿も説かれ、 仏法の理念である「法」の立場から政治にも発言しています。 整理すると、 保守的な小乗教徒は釈尊の説法を金言と仰ぎ、教団統制のための戒律を厳格に守って、 仏典の語句をいちいち金科玉条(最も大切な法律・規律)としていた。 その結果、すべての経文を形式的、表面的に解釈するようになり、アビダルマ研究に流されてしまったのです。 Tweet