2016年1月12日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月12日(火)11時02分58秒 通報 釈尊滅後、百年といえば釈尊から直接指導をうけた弟子たちはすべて死んでいるでしょう。 だから滅後百年も経てば誰も釈尊は知らないわけです。 仏教教団も釈尊の在世時代から数えて四代目から五代目、六代目の世代によって教団運営されていたと思われます。 時代の状況も大きく変化し、民衆の生活様式もかなり変わっていたでしょう。 そういうなかで釈尊の遺訓や教義に対しても、さまざまな異見が出てくるのはやむお得ないと思います。 「大衆部」の支持基盤は主に在家信者だったとされていますが、 当時の仏教教団には「十事(十か条)」の戒律があり、その内容は生活の細部にまで至り、 いちいち教団の許可を事前に得なければ何もできないという厳格な戒律主義に陥っていました。 こうなった原因の一つは僧侶の特権意識だったと思われます。 「自分たちは、大衆と違って特別な修行をしている」といった意識が戒律をより煩雑にしていったと考えられます。 このことがきっかけとなって、戒律中心の閉鎖的な仏教教団の殻を破る革新運動が巻き起こっていったのです。 Tweet