2016年1月11日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月11日(月)14時30分24秒 通報 この外道に相対して、内道である仏教は 自身に起こってくるすべての出来事を自己責任で捉える“自業自得”という思想です。 つまり、自らの善悪の行いに対する苦楽の結果を自らが得るという意味です。 仏教がなぜこのような厳しき因果の理法を自分の問題として捉えることができる思想なのかというと、 人間の生命の内に“仏性”という偉大な変革の可能性と力が本来的に備わっているという真実を知っているからです。 自分の意志と行動によって自身の運命を切り開くことができるという主体性と責任に目覚めさせていくのが仏教(内道)なのです。 この内外相対の戦いを展開したのが仏教の祖師である釈尊です。 大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(一一七四頁)と述べています。 釈尊が菩提樹の下で“根源の法”を悟ってから、釈尊の出世の本懐である法華経を 自身の「生き方」と「振る舞い」を通して万人に示し、正しい教えと自分自身を拠り所としていくべきことを訴え 「怠ることなく、勤め、励め」との言葉を最後の教えとして八十年の生涯を閉じました。 釈尊滅後、その振る舞いと教えを正しく後世に伝えるために弟子たちが集まって、 師の教えを“経典”としてまとめたのが「八万四千の法蔵」と呼ばれる一代聖教です。 ・・・つづく Tweet