2014年9月5日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 5日(金)16時19分32秒 返信・引用 旧チェコスロバキアの作家、カレル・チャペックに、戯曲『ロボット』がある。 「ロボット」という言葉を作りだし、世界に広めたのは、この劇であり、SF(サイエンス・フィクション<科学物語>)の古典となっている。 ある発明家が、人間そっくりの「ロボット」を作りだす。ロボットといっても、機械を組み立てたものではない。 生きた血と肉をもった、いわば《人造人間》である。 実際上は、通常の人間と見分けがつかない。 この《人造人間》の大量生産によって、人間は苦しい労働をすべて彼らにまかせるようになっていた。 人間はロボットたちを売買し、好きな時に破壊し、こき使った。かつての《奴隷》のような存在である。 「あの連中は、雑草以下なのです」――ロボット生産会社の社長は、こううそぶく。 ロボットには情熱もなければ、歴史(伝統)もなく、意志も魂もないと見くだしきっていた。 そのような「ロボット」の扱いを、《おかしい》《間違っている》と思う人も一部にはいた。 「人道連盟」の代表は、「ロボットを解放したい」と、ロボット会社に交渉に乗り込んでいった。 しかし、うまくまるめこまれてしまう。そのうえ、みずからもロボットの労働のうえに、あぐらをかいて生きる傲慢な人間の一人になってしまった。 人類は、もはや「ロボット」とバカにしている。《人造人間》たちなくしては生きていけなくなっていた。 初めのころは、ロボットの安い労働力による人間の失業問題もあったが、やがて克服された。 何より、一度覚えた安楽な生活は、どうしても捨てられなかったのである。「人間」は堕落した。自分で働かなくなってしまった。 《全部あのロボットたちにやらせておけばよいのだ!》 人間は、ロボットを奴隷として、じぶんからは何も生産しない《貴族階級》となった。 もはや創造への努力もなければ、勤労への意欲もなかった。ゆえに、充実した喜びもなかった。 向上もなかった。「人間」はしだいに「人間」でなくなっていった。 Tweet