投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 9日(土)12時18分21秒     通報 編集済
蘭夢様

ご投稿ありがとうございます。
別側面、あまり触れていなかったですが、その通りです。

池田先生の会長就任以降、会長講演や会長指導を読むと、
いつまでにこれだけ折伏します。とはっきり明言されています。(大勝利様が時々、音声をあげてくれますね。)
日本の世帯数から、この時期までにこの折伏をやる。
正本堂の建立も、広布流布の中での、事の戒壇建立であることは明確だったのではないでしょうか。

7番目の鐘は最後の総仕上げだった。それが会長辞任になってしまった。

弟子の敗北です。

しかし、ここから新たな幕が始まった。その総仕上げの時に来ている。弟子の生き様が問われているのが今ではないかと。

今決意をして立ち上がる時。そう思っています。

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別側面  投稿者:蘭夢
投稿日:2015年 5月 5日(火)15時23分36秒

>>気になるので少し書きます。
この板、54年がキーワードになっています。
先生が勇退させられた。裏切りの弟子が・・・
ここに、フォーカスが当たりすぎて、ある別の側面があまり語られていない気がしました。
昔、語られたのかは存じませんが・・・
こういう側面もありますということで書きます。
僕が54年にこだわるとすれば、それは「広宣流布」は一度、失敗したということです。
「失敗」というのは、誰かが言ったわけではなく、僕がそう感じているからですが
ですが、そう読み取れるような話ではあるのですよ。
さて、皆さんは、「広宣流布」がいつ達成されると考えていますか?
えーっと次の鐘がとか・・・電卓とか取り出していませんか
草創期の方だったら覚えていますでしょうか?
戸田先生は、広宣流布について、期限を言われていました。
えっ初耳の方いましたか、というより知らない人の方が多いですね、多分。

戸田城聖全集二巻 P229~より—–
昭和29年4月29日 中央大学講堂
「広宣流布は二十余年」
・・・ここで広宣流布をやり通さなかったならば、ふたたび、何百年の間待たなければならん。
広宣流布をやるときがきたのです。
・・・
これが、二十五、六年後に実現しないようだったら、広宣流布はできません。
—–

はい、ここで電卓持っている人、計算してください。
29+25=54
54年ですかぁ。

さて、少し話を変えて、では、どのようになったら広宣流布できるのでしょうか
はい。諸先輩ならばご存じですよね。
あの有名な「三類の強敵」ですね。いよいよ「広宣流布」できるぞっとなると阻止するために出てくるんですよね。
この時に、賢者は喜び愚者は退く・・・大聖人も戸田先生も・・・みんなそれこそ、耳にタコができるほど言っていたはずです。

時と、そしてその時に何が起こるのか、そしてどうすれば勝てるのか。戸田先生は、ちゃんとおっしゃっていた。

戸田城聖全集二巻 P68~より—–
昭和27年2月17日 日蓮正宗向島常泉寺
「第三代会長に仕えよ」
三代会長をささえていくならば、ぜったいに広宣流布はできます。
—–

池田先生という賢者を戸田先生は残してくれていたのに。

当時の幹部は、まさに「愚者は退く」の言葉通り、戸田先生の指導を裏切り、第三代会長である池田先生を裏切り
今までの草創の大先輩達の戦いを水泡に帰させたんですよ。

広宣流布の大一番の戦いだったと思います。でも負けたんです。
池田先生の心痛は、いかほどなんて、想像できません。
戸田先生がこれを逃したら何百年の間、またねばならぬといわれた、絶対に負けてはならない戦いに負けたんです。
54年とは、そういう側面があります。

同じことを繰り返してはなりません。
今は、いかなる時であるか、そして悪に騙されてはいけません。そして何よりも、愚者であってはなりません。

それにしても、池田先生は、すごいです。
戸田先生の弟子です。何百年の時をこんなに短くさせるなんて。
もう、わかるかと思います。
池田先生が残る生命を削って作った時です。わかりますね
何が悪であるのか、騙されてはいけません。そして、今度こそ、愚者であってはなりません。<<