投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 7日(木)21時59分10秒     通報
池田大作全集78巻より
学生部・教育部合同総会 (1991年9月3日)②

「すべての人に、すべての事を、楽しく学ばせよ」

コメニウスが求めたものは「人類全体の救い」であった。それを求める過程で、しだいに彼の力点は一教団の枠を越え、開かれた、普遍的な「教育」へと移っていった。もとより″精神の父″たりえない、堕落した宗教など論外であった。

「人間」を見つめ、「人間の完成」をめざした彼の眼光は、人類の希望の光を「教育」に見いだしたのである。教育の革新があってこそ「学問」も「政治」も「宗教」も光を放つ、と。

「教育」こそ人類の「大事」なり――人生と社会を達観した人の心であろう。

私も、二十年以上前に、「私の人生の最後の事業は、『教育』である」と宣言した。

彼が訴えた「教育」とは、「すべての人に、すべての事を、徹底的に教える」という、「汎知(広く、全体にわたる知性)主義」の立場に立っていた。

一部分のことを、一部分の人だけに教えるなどといった、偏った性格のものではなかった。

そして、「教える者、あるいは学習する者に、この上もない楽しさを感じさせる」教育を主張し、実践していった。
(彼はまた、男女の平等、教育の機会均等、当時の″学問語″であるラテン語よりも母国語を優先すべきこと、世界最初の絵入りの教科書を著し、視覚による学習を重視すること等を主張した)

「教育」――。学会もまた、創価教育学会として出発した。一貫して「教育」を重視してきた。

青年部だけでも、各種の″大学校″をはじめ、御書を学び、人生と社会を学ぶ″学びの場″を、大きく広げてきた。だれもが楽しく、有意義に学べる「人間教育」の道を開いてきた。

学会のあり方それ自体が、まさに、一つの大きな民衆教育運動、社会教育運動でもあったといってよい。

すべての人が、すべてのことを、徹底的に、また楽しく学んでいける
――ここに、人間が、社会が進むべき重要な進歩の軌道があり、成長の法則がある。そして、それはそのまま、私どもがめざし、進んできた道なのである。

さらにコメニウスは、「自分で自分を養い、自分を強め、自分を広げていく知識」を重んじている。

仏法で説く、「知恵」の開発の重視に通じよう。
ともあれ、「知は力」である。

正しい「知識」を豊かにもってこそ、人間は人間として確立されていく。
「知恵」が開かれ、「人格」が育まれていく。そのために「教育」がある。

一方、権力化した宗教は、概して、自分たちにのみ通用する知識を、一方的に押し付ける。

理性と道理に反する主張をし、納得しない人がいれば、権威で抑えつけ、閉ざされた狭い世界の中に、人間を押し込めようとする。

――断じてだまされてはならない。そうした″自分を弱め、自分を狭めていく知識″の世界に、惑わされてはならない。

「英知」を磨き、人間としての「力」をつけ、「人格」を築きながら、人生の幸福を満喫していける。人間の完成という、「教育」の目的を大きくつつみつつ、みずからの可能性を、最大に開いていける――それが真実の宗教である。(拍手)
指導者は民衆の日、民衆の口
さてコメニウスは、現実社会の腐敗し、堕落した支配者たちへの鋭い批判をこめて、民衆を顧みない彼らの姿をこう表現している。

「ある者は下々の訴えをきくべき耳がなかった。他の者は眼前の無秩序を見るべき眼がなかった。他の者は暴逆者が真実をひっくり返そうとするのを嗅ぎとる鼻がなかった」(前掲書)

リーダーが″鈍感″であってはならない。
巧妙な″へ理屈″にだまされる″愚か者″であってもならない。
また、権威の横暴に甘んじるような″お人よし″では、自分も、周囲をも不幸にしてしまう。

コメニウスは続けて
「他の者は下々の者の声を代弁すべき舌がなく、他の者は正義の判断を実現するはずの腕がなかった。多くの者は正義が要請するものを行なうべき心臓がなかった」――と。

″舌″は「雄弁さ」、
″腕″は「行動力」、
″心臓″は「信念」「勇気」を意味しよう。

「改革の闘士」であった彼の言葉は、民衆のリーダーの要件を端的に表している。また私が繰り返し訴えてきたこととも一致する。

悪を見抜く知性。
悪にだまされない賢明さ。
民衆の声を代弁する雄弁。
正義を断じて実行する信念と勇気

――どうか若き諸君は、これらをあわせもった偉大な指導者に育っていただきたい。

民衆に渇望され、会員に慕われゆくリーダーこそが、今後ますます必要となる。民衆から離れて、どんな地位に就いたとしても、それは幻であり、無価値である。

「民意の時代」である。ゆえに「民衆の要請に応える人」「民衆の声を叫びきれる人」でなければ、人々から支持されないのは当然である。

先日、あるテレビ番組で、中世イタリアのフィレンツェを中心とする「ルネサンス」を特集していた。
その内容にいわく、宗教や政治の権威の 軛くびき がら「人間」を解き放った、あの文芸復興(ルネサンス)の大運動は、

″叫ベ! 叫ベ! 叫ばないのは死だ″との、
熱き声から始まったのだ、と――。
歴史の正しい視点である、と私は感銘した。

「広宣流布」という私どもの進める″生命の大復興運動″も、真実を叫びきる、正義を語りぬく、その粘り強い戦いこそが、その原動力となっていくのである。(拍手)

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学生部・教育部合同総会 (1991年9月3日)①
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