投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 4月14日(火)00時26分4秒     通報

池田先生の指導  平成5年9月16日 アメリカSGI最高会議
「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」
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この指導が破門後の大御本尊に関する先生の公式見解です。今回の教義変更で、大御本尊は受持の対象としないとしましたが、それならばこの指導とは見解が異なります。去年の11月7日までは、先生のこの指導を採用してきたわけであり、誰も異論はなかったことでしょう。創価学会のスタンスとしては、たとえ謗法の地にあろうとも、大御本尊は大御本尊であり、法主が狂おうとも、いささかも変わることはないものであると。これは非常に納得できる話であり、誰も「謗法の地にある御本尊に南無などできるか!」と反発した人はいないと思います。

このスタンスを変更するのであれば、先生自ら公式見解を出さなければならないのではないかと考えます。日寛上人と戸田先生の指導とは相いれない教義変更を推進したわけですが、御二方はすでにこの世にいないわけであり、真意を確認することは出来ない。唯一できるのは池田先生であり、「少しも変わらない」と見解を示している以上は、それを覆すのであれば、本人が声明を出し、説明をしなければ、後々の禍根となってしまう。今のところ、言った言わないの世界から抜け出すことはできておらず、先生主導で進められたかの如く喧伝されているが、真相がわからない。先生の指導が、会員への配慮として述べられたものなのか、それとも本当に少しも変わらないのか、はっきりさせなければならなくなってしまった。本人がいるのだから、回りが勝手に解釈するわけにはいきません。

この指導から21年経過していますが、その間で変化があったというのだろうか。あったとしたらどのような変化か。そういうことにも言及しなければならないわけであり、全会員に関わる問題であるが故に、しっかり対応しなければならないでしょう。ややっこしい問題に不用意に飛び込んでしまった感は否めません。師と歴史と論理を軽んじると、仏法は破壊されてしまう。一歩間違えただけでもアウトな案件であり、決してドヤ顔で進めることのできる問題ではない。教義変更が正しかったかどうかは歴史が証明することであり、時が経たなければ全貌はわからないが、それは54年も同じだったことでしょう。表上は何の問題もなく処理されたわけだが、実は弟子の裏切りという顛末だったわけです。

54年の時と大きく違うのは、今はネットがあるということ。情報が拡散され、ごまかしきることはできない時代であり、真実が追及されること。悪い人間にとっては、ひやひやものである。御本尊に関する事項の失敗は許されない。失敗だったとしてもそれを認めることは出来ないでしょうし、実に恐ろしいことに手をつけたものである。宇宙船創価学会号に同乗している身としては心配である。執行部が黒であるならば、断罪され、追放されたほうが本人たちのためである。それでこそ救われるわけです。しかし、できれば白であってほしいものです。まだまだ一切衆生を仏にする戦いの最中であり、余計なところで躓いている暇はないからである。潔白であるならばそれを是非とも証明していただきたい。

万人を成仏させるためにある、宇宙船創価学会号の私物化は断じて許されない。もしも中枢が権力欲にとらわれるようなことがあれば、舵取りを誤り、乗組員を危険に晒す。人の心は移ろいやすいからこそ、法を根本にすることが過ちを犯さない道である。そして、信心なき者に舵取りは不可能である。教義変更の根底に果たして信心はあるのか。それとも魔王の為せる業か。どちらにせよ、宇宙船創価学会号が沈没することは、人類にとってマイナスである。