投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月23日(日)09時49分56秒    通報
公金横領、法王庁への陰謀、フランス王の弟への妨害運動――。
でっちあげの罪で、判決は多額の罰金と国外追放。
さたに見つけしだい《火あぶり》という無法な裁きが加わった。

ローマに出た、わずかのすきの出来事である。何の準備もない。
財産も没収、子どもたちもねらわれた。
以後、三十七歳から五十六歳の死までの十九年間、ダンテは孤独な放浪に生きた。

各地を転々としながら、身をおとし、保護を受けたこともあった。
保護をした人のなかには、詩人など「道化師と似たような者」と考えている貴族もいた。
自己の大才を自負しているダンテには耐えられないことであった。

《フィレンツェに帰りさえすれば》・・・・・。その望みが叶いそうなこともあった。
しかし味方の裏切りから、もう一歩のところで、敵の追い出しに失敗した。

また晩年、帰国の許可がおりたが、屈辱的な条件が科せられていた。
袋を頭にかぶって市内を歩き、罪を謝って、罰金を支払え、というのである。

ダンテは拒絶した。そうまでして帰ろうとは思わない。
ミケランジェロが嘆いたとおり、「最高の完成者こそ最大の侮蔑をもって遇される」のであった。

ダンテは「何もかも失った男」であった。
恋を失い、地位と名声を失い、家族を失い、財産をとられ、故郷もなく、友にも裏切られ、安住の地を見いだせず、彼の真価を知る人もいない。

何より、彼は悩んだ。
《正しき者がかくも理不尽な迫害にあう。悪は栄えている。
正義はあるのか?神の正義を体現しているはずの聖職者。教会が、そもそも「正義の敵」だとは!
人の世に、真の「正義」などないというのか?それなら、この世は無秩序な、たんなる弱肉強食のジャングルではないか?》――。

『神曲』の冒頭に、「人生行路の半ばにて、正しき道に踏み迷い、暗き森に我たたずみぬ」と歌われた。光なき袋小路であった。

この迷いを晴らすため――「《正義》の裁きは厳然とある!」と示すため、彼は『神曲』にわが精魂をかたむけた。
それは自己の《正義の証明》でもあった。それだけではない。
「この世に正義はある」ことを示す、人類的な根本問題への解答であった。

【イギリス青年部総会 平成三年六月二十九日(全集七十七巻)】