2014年11月20日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月20日(木)11時31分6秒 通報 さて、かりにこの時、ソ連側が「人命を救うかわりに」と、 何らかの《取引》をしようとしていたら、どうであろう。 母親達は、子どもの命を《人質》に取られているようなものである。 向こうは圧倒的に強い立場である。 《取引》ではなく《脅し》の意味さえもうことになったであろう。 幸い、ソ連は人道的であった。 人の一生、生命にかかわる問題を、卑劣な駆け引きに使うようなことはしなかった。 母たちは救われた。 信仰も人の一生、生命にかかわる大事である。 否、三世にかかわる根本事である。 その信仰の世界で、それぞれ考え方があり、生き方があるのは自由かもしれない。 しかし、信仰を謀略の道具にすることは断じて許されない。 信仰を自分たちの駆け引きの手段としたのでは、もはや、いかなる立場であれ、仏法者ではない。 妙法は生命の大良薬である。 御本尊は御本仏が全人類のために遺してくださった、成仏への大良薬であられる。 私どもは、この人類の《幸福への薬》を苦悩の人々に伝え、届けるために戦っている。 だれ人であれ、御本仏のお使いとしての、この広布の前進を妨げようとする行為があれば、 御本仏の敵であり、人類の敵であると私どもは思う。 この映画は、多忙なゴルバチョフ大統領も見て、 「一筋の明るい光が見えるようなインスピレーションを与えてくれ、新しい活動への意欲を起こさせてくれる」と評価されたという。 日ソをはじめとするグローバルな民衆交流の道、人間主義の道。 その先駆となる歴史のひとコマとして、紹介させていただいた Tweet