2014年11月5日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月 5日(水)09時30分30秒 相手の姿をどう見るか。 それは、そのまま自分の心を映しだしている場合が多い。 たとえば、貪りの心が大きければ、人の真心も見えない。 けなげな真心も、あくなき欲望の大きさからすれば、小さなものに見えてしまう。 真心が足りないのではない。欲が大きすぎるのである。 学会は、これまで「真心の人」を最大に大切にしてきた。 真心には、それに倍する真心で応えてきた。 これが信仰者の行き方であり、人間としての《道》であろう。 信心の真心――その《心》を大切にする。 そこに「信頼」も「福運」も、いや増して深まり、広がっていく。 道理に外れた無法を行っている人には、道理を守っている人のほうが曲がって見える。 首をかたむけて見ていて、それが真っすぐだと信じている人のようなものである。 周囲の人が間違っているのではない。 自分が、正しい《基準》を失っているのである。 こういう人にだまされてはいけない。従ってはいけない。 学会はどこまでも変わらない。どこまでも御本尊が根本、御書が根本であり、基準である。 この不変の大軌道を歩んでいけばよいのである。 また、どんな闘争においても、こちらが臆病であると、敵が強いように見える。 敵が強大で、戦いがたいへんなのではなく、自分が弱くて、そう見えている場合があまりに多い。 また反対に、油断もいけない。聡明に敵の実体を見抜くことが、勝利の第一歩である。 ともあれ、だれがどう見ようと、どう変わろうと、また時代がどうあろうと、学会は不変の大道を行く。 皆さまは、その若きリーダーである。 皆さまもまた不変の信念に生きゆく《学会の勇将》であっていただきたい。 不変の学会精神とは、「広宣流布への大闘争心」である。 広宣流布の戦いは、さまざまな次元にわたる。 御書に「一切法とは一切皆是れ仏法なり」(御書五四一頁)とお示しのように、森羅万象ことごとく仏法の世界である。 仏の法は社会の一切の事象にあまねく通じ開かれている。 学会が推進している、仏法を基調とした文化・平和・教育推進の運動も、全部この精神にもとづいたものである。 また、この「広布の大闘争心」のなかに、御本仏のお心にかなった信心があると確信する。 形ではない。地位ではない。心である。行動である。 【第四回全国男子部幹部会 平成三年二月十七日(全集七十六巻)】 Tweet