2014年11月5日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月 5日(水)09時31分20秒 大聖人は、当時十九歳(数え年)であった時光に、次のように仰せである。 「かまへておほきならん人申しいだしたるらんは・あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かと・おぼしめして・したたかに御返事あるべし」(御書一五四〇頁、以下同じ)。 ――大身の人(身分や地位などの高い人)から、圧迫を加えようとして言いだしてきたことに対しては「ああ、法華経のよい敵よ! 三千年に一度咲く優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的に巡りあえる浮木のように、あいがたい敵である」とお考えになって、したたかに強く御返事をなされるがよい――と。 この御文をしたためられた建治三年(一二七七年)ごろは、 熱原方面(現在の静岡県富士市)で、日興上人を中心に盛んに折伏、弘法が進められていたときである。 そのため、上野の地頭であった時光の身辺にも迫害の手がのびはじめていた。 そこで大聖人は、信心のゆえに迫害を受けることは、あいがたい法華経の敵にあうことである。 成仏への願ってもない機会である。 だから、信心の心を強くもって、厳然と言いきりなさい。 妥協したり、脅しに負けてはいけない、と励まされているのである。 諸君も、青春時代に、思いもよらない苦難や《強敵》に直面する場合もあるだろう。 しかし、じつは、そのときほど自分の人生を開いていく絶好の機会はないと知ってほしい。 より大きな《敵》との大闘争のなかでこそ、より大きな力を引き出すことができる。 より大きく、より強く自分を鍛え上げることができる。 私も、青年時代から、ありとあらゆる戦いをとおして、訓練につぐ訓練を受けた。 鍛えに鍛えられた。だから、何が起こっても動じない。恐れない。負けもしない。 本物の信仰者をつくるには、厳しき仏道修行は当然だと思ってきた。 草創期の青年部の強さも、信心を深め、人間を鍛える、この方程式を忘れないでいただきたいし、避けないでいただきたい。 とくに、この御文の中で大聖人は「したたかに御返事あるべし」と仰せである。 いかに権威・権力をふりかざしての威圧的な攻撃に対しても、若き信仰者らしく、堂々と「正義」の切り返しをしていけばよい。 学会は、これまでの幾度の難に対しても、この御書にお示しのごとく戦いを進めてきた。 だからこそ、今日の大勝利の発展を築くことができたのである。 【第四回全国男子部幹部会 平成三年二月十七日(全集七十六巻)】 Tweet