2014年10月30日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月30日(木)09時52分57秒 ともあれ、チャップリンは、ただ「真実」を描きたかった。 「民衆の心」をとらえること――これが彼の目標だった。 それにはリアルな事実にもとづくことだ、と。 民衆はウソとホントを鋭敏に見わける。 彼がいつも「真実」を描いたからこそ、世界が彼を支持したのである。 「真実」に生きる。「民衆の心」に生ききる。これが学会の強さである。 だからこそ、かつてない「世界広宣流布」の大潮流が広がってきたのである。 また、ひたすらに「真実」の道を歩んできたからこそ、学会は数々の弾圧にも微動だにしなかった。 これだけの圧迫、攻撃である。微塵でも裏表などあれば、耐えられるはずがない。 とっくに崩壊していたにちがいない。 こざかしい欺瞞など、すべての民衆によって見破られる。 また歴史によって裁かれてしまうだろう。 偽善やごまかし、にせものにだまされてはならない。 それは自分自身の敗北である。せっかく営々と築き上げてきた人生の《福運の城》を壊してしまう。 「二十世紀のもっとも有名な人物」――それを決めるのはむずかしいが、「おそらくチャップリンでしょう」という人がいる。 (とくに彼の無声映画は言語・文化の壁を越えて、文字の読めない多くの民衆にもこよなく愛された) それほど「民衆」は彼を支持したが、だからこそ「民衆の敵」からは、いつも嫌われた。 なるほど、道理である。 そうしたなか、彼の態度はつねに堂々たるものであった。 「私はある種の人びとを怒らせるのに成功したことをたいへん満足に思っています。 論争のない人生など退屈きわまりないものです。 すべて生きているものは、議論を呼び起こします」(チャーリー・チャップリン 講談社)と。 チャップリンのヒトラーとの戦いは有名である。 そのワン・マン・ウォー「たったひとりの戦争」については、語るべきことがじつに多い。 彼は言う。「独裁者とは喜劇的なものです」と。 この言葉は、チャップリンがヒトラーを《喜劇的に描いた》というよりも、ヒトラーの本質そのものが《初めから喜劇であった》ことを語っている。 ――ヒトラーというのは、いいカッコをして偉ぶっているけれども、じつは、ちょっとおかしいんだよ、普通じゃないんだよ。 みんな、ハイ、ハイと彼の言うことを聞いているけれども、それは全部、彼の巧妙な演技と、恫喝に乗せられているんだ。 よく見てごらん、本当にあいつはこっけいなんだから――と。 どこまでも「人間性」が基準であったチャップリン。 その澄んだ目には、ヒトラーの虚勢と二面性が、じつにこっけいに映ったにちがいない。 そして、そのウソつきの本質を底の底まで見ぬき、どんな人にもわかる表現で描ききった。 まことに、チャップリンは偉大な《芸術の王様》であった。 ともあれ、チャップリンの言葉を借りていえば、 世間の独裁者というのは、いつの時代も、まったく《喜劇的》なのである。 多くの悲劇をもたらすわけではあるが――。 【第十五回全国婦人部幹部会 平成三年一月二十三日(全集七十六巻)】 Tweet