2014年10月30日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月30日(木)09時51分11秒 気むずかしく、しかめっ面の《おえら方》を、チャップリンは心から嫌う。 「こういう連中は、うぬぼれ屋で、くだらないと思う」 「だがやがて、こうした連中も迷いからさめ、ある種の現実を認めるようになるにちがいありません」と。 批判精神――これこそ、チャップリンのチャップリンたる所以であり、あらゆる大芸術のなかに燃える炎である。 コメディーを、そして映画を「芸術」にまで高めたチャップリンの魂であった。 彼は、反発を当然、予測していた。 追放も覚悟のうえであった。 しかし、今、言いなりになってしまえば、自分が何よりも愛し、その発展に全魂をこめてきた《映画の王国》が、衰退し壊滅してしまう。 それを恐れたのである。 そしてチャップリンは、とうとうアメリカを追放されてしまった。 ハリウッドだけではなく、裏にはもっと巨大な政治的密謀もあったようだ。 偉大な人間は、閉鎖的な世界には収まりきらず、彼が邪魔になった人々から追放される。 これは歴史の常である。 しかし、彼の予見は当たった。 こんなばかなことが、いつまでも続くはずがない――と。 その確信どおり、二十年後、ハリウッドとアメリカから、映画界最高の賞「アカデミー特別賞」を受けるように、と懇願される。 そしてついに、凱旋の訪米を果たしたのである。 六十三歳で追放され、八十三歳での凱旋である。 八十八歳で亡くなる五年前のことであった。 【第十五回全国婦人部幹部会 平成三年一月二十三日(全集七十六巻)】 Tweet