投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月29日(水)09時41分52秒    通報
チャップリンが、ある記者会見に臨んだときの話である。
集まった百人もの記者のうち九十五人までが自分に敵意をもっていると見て、彼は言った。
「さあ、虐殺をお始めなさい」、どこからでもこいという、強気の姿勢である。

こうした場合、だれがこんなせりふを言えるだろう。
彼は勇気ある本当の《男》だった。
そして悪意の質問にも、超人的な忍耐力で、にこやかに答え続けた。
真の勇気は、すぐにカッとなる短気さのなかにではなく、肚のすわった忍耐のなかにある。

「なぜ、アメリカ国籍をとらないのか」という問いが発せられる。
記者は《イギリスから移住してきたのに、アメリカで国籍を取得しないのは、反米すなわち共産主義者にちがいない》というレッテルを張りたかったのである。

チャップリンは、平然と一言。「私は《世界市民》ですから」――。
心憎いばかりの答えである。

私も友だちのような共感を覚える。
また、別の折、《映画の王国》ハリウッドの、商業主義と政治的偏向を批判して書く。
――今度という今度は、私は宣戦布告したい。
《金が全能の神》と信じているかぎり、この王国は退廃するだけだ。
これ以上、検閲や機械的な映画製作による「規格化」を進めれば、芸術は、人間性は破壊する。
私は「共産主義者」とか、ののしられているが、それは世評に迎合しないからである。

また「ハリウッドの大立物どもが、自分たちは相手がだれだろうが、勝手に追払うことができると信じこんでいるという、ただそれだけの理由からでした」(前掲)と。

策略と決めつけ、ヤキモチとわがまま――民衆に大きな影響力をもつチャップリンが、自分たちの言いなりにならないことに《おえら方》はいら立った。

当時のアメリカで社会的に抹殺しようと思えば、「赤」に仕立て上げるのが、いちばんである。
これは戦前の日本でも同様であった。
そこで彼らは、根拠もなく「赤だ」「赤だ」と繰り返した。

ウソも百回言えば本当になるというが、こうして、チャップリンをはじめとする多くの映画人、文化人が犠牲になった。
冷静に事実を見ればわかることだが、狂気の嵐に巻き込まれると、当たり前の道理もとおらなくなる。
恐ろしいことである。

こうしてハリウッドは、自分たちの世界の至宝を《追い払って》しまった。
今回のことについて、ある方から、お電話をいただいた。
その方は、「宗門外護のいちばん大事な人を宗門はいじめた。
これで日本の広宣流布も、世界の広宣流布も遠のきました。
残念です。悲しいです。これは宗門の責任です」

「全部、嫉妬であり、策略です。痛恨の極みです」と語っておられた。
後世のために、そのまま述べさせていただく。

【第十五回全国婦人部幹部会 平成三年一月二十三日(全集七十六巻)】