投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月22日(水)10時07分20秒
大聖人は「報恩抄」にこう仰せである。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書三二九頁)

――日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来の果てまでも流布するであろう――と。

根本は、大聖人の「大慈悲」によって、広宣流布は進められていく。
その聖業を担う私どもの誉れは無上である。

また、大聖人は「御義口伝」に、次のように述べられている。
「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(御書七二〇頁)

――今、日蓮が唱える南無妙法蓮華経は、末法一万年の衆生まで成仏させるのである――と。

大聖人の仰せのままに進む人は、だれでも成仏できるのである。
「成仏できない」と主張する人は、大聖人に弓を引く者である。
大聖人は「末法一万年」「万年の外」と仰せである。
七百年など、まだまだ始まりにしかすぎない。
いよいよ万年の未来へ、広宣流布への新しき、そして壮大なる希望の出発をしたい。

五老僧は御書を軽視した。
「本師根本」ではなく、いわば「自分根本」であった。
現在の宗門は五老僧のようになってしまった。

日興上人はどこまでも「御書根本」であられた。
私どもこそ、日興上人の正統の門下なのである。

日興上人は「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(御書一六一三頁)
――(かつてインドの釈尊の言葉が中国語や日本語に翻訳されたように)大聖人が使われた日本の尊い言葉についても、広宣流布の時には、かなを用いて書かれた御書を訳して、インドへも、中国へも流布していくべきである――と。

この教えどおり、御書を正しく翻訳し、世界中に流布しているのは、わが学会だけである。
学会は、この日興上人の御精神のままに御書根本に進む。宗祖大聖人も日興上人も必ずやお喜びくださり、御称賛くださっているにちがいない。

【創価ルネサンス大勝利記念幹部会 平成三年十一月三十日(全集七十九巻)】