投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月22日(水)09時41分21秒

 
きょうは、まず、「トルコのことわざ」を紹介したい。

その一つに、「人民の投げた石は、はるか遠くまでとどく」とある。
これは《民衆の抵抗の力はあなどれない》ことを例えたものである。

トルコを長く支配した、あの強大なオスマン帝国(一二九九年~一九二二年)も、民衆の抵抗によって衰退を早め、結局、民衆に支援された「トルコ革命」に倒された。

これは歴史の事実である。
また法則である。

いかなる権威・権力も、立ち上がった「民衆の力」にはかなわない。
またトルコには、「真理の言葉の前では、奔流でさえ、ひびきを止める」ということわざもある。

真理の一言は、逆巻くような激流をも静かにさせてしまう
――たとえ、百万言のウソ、偽りをまきちらそうとも、《真実の言葉》にあえば、はかなく消える、ゆえに賢く「真実」を見抜くことである。
勇気をもって「真実」を語ることである。

さらに――これは十五世紀にさかのぼるというが
――「有力者は誤りをおかさぬ(と言われる)。しかしひとたび彼らがそれをおかせば、その結果は重大である。
有力者は蠟のようにやわらかな心をもたねばならない」と。

かたくなで、人の言うことを聞けない人は、本当の指導者ではない。
そういう人についていってしまうことは、あまりにも怖い結果となる――。

長い歴史が培った「知恵」の言葉である。現代の私たちにとっても、大切な示唆を含んでいると思い、いくつか紹介させていただいた。
また、トルコ革命のリーダーで「建国の父」、ケマル・アタチュルク大統領(一八八一年~一九三八年)については、世界的に有名であり、私も何度かお話しした。

この大指導者の言葉を二つ、紹介しておきたい。
「誠実さは、言語をもたない。それは言葉にならないものである。誠実さは、その人の瞳と、ものごしの中に読み取ることができる」

どんな、うまい言葉よりも、「目」を見ればわかる。
「顔つき」と「振る舞い」を見れば、その人が誠実かどうかは明らかだというのである。
多くの経験をしてきた私どもには、何の説明もいらないであろう。

また「私にとって、独裁者とは、他の人を自分の意志に屈服させようとする者のことである。
私は、民衆の心を踏みにじることによってではなく、民衆の心をつかむことによって国を治めたい」。

あらゆる指導者が心すべき名言であると思う。
また、現宗門と学会のいき方のコントラストを、まことに鮮やかに照らしだす言葉でもある。

そういえば先日、宗門から「破門通告書」が送られてきたが、この「破門」も、仏法と何の関係があるのか、さっぱりわからない。
破門という言葉は、御書にも法華経にもない。

しかも「破門」を言うのに、この文書には、ただの一カ所も、経文もなければ、御書もない。
何の「文証」もなく、ただ居丈高に「ハモン」「ハモン」。
そのこと自体が、大聖人の仏法とは無縁の《己義》であり、卑しい《感情》の産物にすぎないことの証明ではないだろうか。
「制度化された宗教は魔術となる」と言った学者がいる。
真理の重要な側面をついている。トリックに惑わされてはならない。

自分の幸福のために、一家のために、人類の未来のために。

【第四十九回本部幹部会、第三回埼玉総会 平成三年十二月八日(全集七十九巻)】