投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月19日(日)08時55分30秒
学会は今、「宗教改革」を進めているが、ヨーロッパの十六世紀に始まる宗教改革
――それは、中世の暗黒の闇を大きく破り、宗教のみならず、社会、時代を大きく動かしていった大事件であった。

その理想は何であったのか、当時の堕落した旧教(カトリック)から分離独立した新教(プロテスタント)は、いかなる特徴をもっていたのか。

それは、次の三点などである。
①人間の救済は、儀式などの形式にあるのではなく、個人の内面の信仰による。
旧教では、教会が行うミサ(パンとぶどう酒をキリストの肉と血であると信じて食べる聖体拝領を中心とする儀式)などに参加することを重視する。
それらの儀式は、功徳を生む善行であり、救済への力となると考える。
これに対して、新教は、内面の信仰を重視する。
儀式をただちに功徳を生みだすものとはせず、各人の信仰によって救済されるとする。

②キリスト教の原典・聖書が、信仰の基づくべき唯一の根拠である。
旧教は、その時々の教皇や教会の考え方に権威を置き、伝承や哲学的解釈を交えながら、しばしば聖書から逸脱した都合のよい教えを説いた。
新教では、あくまで聖書のみが根本であるとし、それに反する教えを認めない、改革者ルターは、当時、ラテン語(当時の学問語)であった聖書を、ヘブライ語・ギリシャ語の原典から、直接、自国語のドイツ語に翻訳し、民衆がわかるものにした。

③信者は、一人一人が信仰によって《直接、神に》つながっており、聖職者の介在はとくに必要ない。
当時、旧教では、聖職者と平信徒の間には、身分の上下があるとした。
その階級序列は神によって定められたものである、と。
(キリストの母マリアや「余剰の善行」をもつとされる聖人を崇拝し、その功徳にすがっての罪のあがないを説いた。この考え方が、宗教改革の一因となった悪名高い「免罪符」の販売の背景になった)
新教は、信仰者すべてが、聖人や聖職者などのとりなしがなくとも、神と直結できるとし、万人が祭司であるとする。神の下の平等を強調する。