2014年10月19日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月19日(日)08時51分7秒 二、宗門は「非宗教的」「反民主的」 「どんな宗教においても、信仰の根本である教義の基本というものは、そんなに複雑なものではない。 たとえば、カトリックの教義についていえば、その本質は ①神を信じる ②イエス・キリストを信じる ③聖霊を信じる、というものである。 一方、外からの見方ではあるが、日蓮正宗の場合は ①御本尊を信じる ②日蓮大聖人を信じる ③御書を信じる、ということに核心があるのではないかと思う」 「もしも、こうした《信心の根本》を否定し批判するのであれば、教皇庁でも、それが異端か否か、破門に処すべきか否かを検邪聖省で審議するであろう。 しかし、カトリックでは、そうした《信心の根本》に対する批判は別として、つまり教義の解釈や本質問題以外の主張や議論、批判については、『思想の自由』として保護しているのである」 「その意味で、日顕法主らが創価学会の『解散』や『破門』などを、学会からの話を聞こうともせず、一方的に処分することは、あまりにも『非宗教的』『反民主的』であって、常識では考えられない。 そして『言論の自由』『良心の自由』にも反するといって過言ではなく、まったく人権無視のやり方である」 三、《信仰の根本》の歪曲こそ大問題 さらに次のようにも語られている。 「カトリックでは、ローマ教皇を含めて、信徒は皆、『神の民』であると、神の前の平等を説いている。 日蓮正宗の場合でいえば、法主も一学会員も、仏の前に平等であるということだ」 「僧侶(聖職者)と信徒は、役割が違うだけであり、だから僧侶が偉いということにはならない。 ただたんに役割分担の問題であって、その役割にたがいに敬意が払われているということである」 「教皇は聖職者と信徒の代表であって、絶対に『神』ではない。 もちろん歴代の教皇の中にも、時には私生活の乱れた《悪教皇》もいた。 しかし、信仰の根本となる教義の基本を変えたりした教皇はいなかった」 「仮にも、宗祖たる日蓮大聖人よりも現在の日顕法主のほうが偉いというような、信仰の根本にかかわる教義の歪曲を宗門が行ったとしたら、それこそ《異端》である。 普通ならば即刻、追放されてもおかしくない重大問題である。退座要求が起こるのは当然だ」 【創価ルネサンス大勝利記念幹部会 平成三年十一月三十日(全集七十九巻)】 Tweet