投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月19日(日)08時49分19秒    通報
戸田第二代会長は、将来は「創価学会仏」と言われるだろうと語っており、そのことについて、昭和三十七年十月十八日付「聖教新聞」の座談会「学会伝統の《実践の教学》」には次のようにある。
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会長《池田会長=当時》
戸田先生がひとことお話しになりましたよ。
たとえば、こういう大勢の学会人がいても、将来、将来といっても、これはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て説かれるときには「創価学会仏」という仏の名前で出ると。
威音王仏とかいろいろあるでしょう。
そういう立場で「創価学会仏」という仏になるという、そういう意味の、先生のおおせらしいのですよ。これは不思議ですね。
釈迦の当時だって何人信者がいたかわからないけれども、今度は威音王仏の時だって何人信者がいたかわかりませんよ、実際問題。
だけれども、生命論から考えれば、なにも不思議ではない。

秋谷《副理事長=当時》
威音王仏の威音王という名前も、今で考えれば、創価学会というような名前で、当時、あったと考えてよいわけですね。

会長
そういう代表の仏の人物がいたともいえるし、ひとつは教団があったともいえる。
威音王仏とは、法華経の常不軽菩薩品に説かれる仏で、同号の仏が二万億、次々に出現したとされる。
最初の威音王仏の像法の末に不軽菩薩が出現した。
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「宗教」があって「人間」があるのではない。
「人間」があって「宗教」があるのである。
「人間」が幸福になるための「宗教」である。

だが宗門は、この道理を、あべこべにとらえてしまった。
その錯覚に、重大な《狂い》が生じた。

きょうも、ある婦人部の方が言われていた。
「私たちがどれほど御供養し、宗門を守ってきたか。
その一方で、僧侶はいったい何をしてくれたというのか。
病気になっても、見舞いに来てくれるわけでもない。
ハガキの一枚もない。火事があったからといって、駆けつけて励ますわけでもない。
勤行を教えてくれたわけでもない。的確な信心指導もできない。葬儀に来ても、心から悼むわけでもない。
口を開けば『いい車で迎えにこい』『御供養が足りない』などと言う。『一事が万事』の傲慢な態度――あまりにもひどすぎる」と。

そして
「これでは日蓮正宗ではなく、《日蓮邪教》である。その点、学会は、いつも親身になって面倒をみてくれた。
すぐに駆けつけてきてくれた。この事実ひとつ見るだけで、正邪はあまりにも明らかです」と言われていた。

まさに、学会員の率直な気持ちであろう。

【創価ルネサンス大勝利記念幹部会 平成三年十一月三十日(全集七十九巻)】