投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月14日(火)09時16分58秒
《大乗仏教の興隆は在家が主体》と――。
日蓮正宗も《大乗仏教》のはずである。
また《時代と民衆の要請に応じて変化》と。

ただし最近は、法主が「本」で、御本仏は「迹」だそうだが、こんな《変化》は、時代も民衆も《要請》していない。

「歴史的に見れば、近代日本にあっても二度の大きな変化があった。
一つは明治維新の時であり、これは国家が仏教の在家主義化をはかったものである。
このころから僧侶の妻帯が始まった。
もう一つは、第二次世界大戦後であり、神道を中心にした古いナショナリズムが崩壊し、新たな民衆仏教への模索が始まった」

「そのなかでも、日蓮の『立正安国』の思想が民衆に受け入れられ、日蓮系の教団が多く出現した。
その意味から、既成教団の一つである日蓮正宗のみでは、民衆の要請に応えられるものではなかった。
創価学会の出現によって、日蓮の立正安国の思想が日本全国、全世界に広まったのである」と。

「伝統」は大切である。
しかし、食べ物も長く放っておけば腐ってしまう。
衣服も手入れをしないと、いたむであろう。頭脳も、使って鍛えなければ鈍くなる。

古いものは何でも《尊し》として、新しい息吹を取り入れなければ、どんな立派なものも、いつしか腐敗してしまう。
この点だけでも、学会の前進が、どれほど仏法の本来の精神と時代の流れにかなっていたことか。

さらに
「まさに三千年の仏教の歴史から見て、創価学会の出現は、民衆の要請に応じた仏教正統の流れと見ることができる」と。

「また葬儀についても、現在、創価学会の会員の皆さんが行っている友人葬や同志葬を、自信をもって進めていってほしいと思います。
もはや今日では、出家者の存在意義もなくなっていますし、仏教本来のあり方からしても、僧侶がかかわらないのが当然のことです」

知性の声、良識の声、社会の声――。私どもの「正義」に対する、一次元からの「証明」として紹介させていただいた。

【大学会・渋谷区合同記念総会、県・区代表者会 平成三年十一月九日(全集七十九巻)】