2014年10月10日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月10日(金)15時44分18秒 通報 こういう流れのなかで、西暦紀元前三世紀、アショーカ大王が登場し、仏教は大いに興隆しました。 この時代、インド世界はもちろんのこと、南はスリランカ、西はギリシア世界にまで、仏教思想が伝えられています。 アショーカ王の時代、ある仏教僧などは、ギリシア人の世界へ行って教化したところ、七万三千人が帰依して千人が出家し、ギリシア人の世界に仏教が流布したといわれています。 南伝経典によれば、あまりにも急激に仏教僧が増加し、正しい教法が乱されるおそれが出てきたため、釈尊滅後二百三十六年に首都パータリプトラに、一千名の高僧が招集され経典の結集が行われたとされています。 これが「第三結集」です。 「一千比丘結集」ともいいます。 ほぼこの時期で、釈尊の教法は一応の整備がなされました。 仏教がインドを越えて、他の文化圏に影響を与えはじめるのは、アショーカ王の時代からですが、本格的には西暦紀元前後から一世紀以後、釈尊滅後五百年ごろからです。 仏滅後五百年ごろになると、主に大乗教徒の間から「正法五百年」の説が出されています。 日本に伝わった仏教の説では「正法一千年」説で、日蓮も正法一千年説をもちいています。 ともかく、釈尊の正しい教え(正法)は、滅後五百年にして衰滅に向かったという考えです。 彼ら大乗教徒は、そのような危機意識を背景とし、インドにおいて一斉に興起しました。 Tweet