投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月10日(金)15時43分10秒    通報
「根本二部の分裂」は、表面的には「十事の戒律」をめぐる争いのようにみえますが、その根本は上座部が出家僧中心の閉鎖集団に陥っていたという背景があるようです。

上座部系の弟子は、超世俗的な修行に閉じこもり、釈尊の教えである「経と律」の文々句々を、どれだけ多く知っているか、また出家してからどれだけ多くの年数が経ったかが、教団内の「阿羅漢(聖者)」と呼ばれる条件となっていました。

しかし、大乗経典ではとくに「菩薩」のあり方が強調されています。
出家修行者は自らの解脱をめざすだけでなく、広く大衆を教化するために「利他」行を積極的になすべきであるというものです。
それに、釈尊自身も出家僧にだけ説法していたのではありません。
当時の上座部系統の弟子たちは、保守化し、教団内に閉じこもって、釈尊の教説だけを守っていたのでしょう。

このような事例から初期の経典は、教団の出家僧を対象にしたものであったため、現実に大衆のなかに飛び込んで布教活動を行っている人には、受け入れがたいものがありました。

大乗経典が生まれる原因は、すでに第一結集の時からあったのです。
大衆部の運動は、釈尊在世の原点に帰る運動であったといえます。
それは、「正統と異端」といった争いではありませんでした。

仏教の場合、革新運動はつねに「原点に帰れ」という精神から出発しているのです。
改革派は少数のようであっても、結局は原点に正しく立った思想が勝利を収め、おのずと本流になっていくのです。