2014年10月10日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月10日(金)15時36分33秒 通報 卓越した指導者であれば、絶えず自身の死後の教団のあり方に思いをこらしているはずです。 その証拠に釈尊滅後、ただちに弟子たちが集まって経典を結集し、その後も千数百年にもわたって、仏教教団が「経典の結集と継承」に全力を傾けて来たのは、生前の釈尊の「令法久住」の熱誠が反映したものと考えられるからです。 一回目の仏典結集は、五百人の弟子が集まって行われました。 しかし同じ釈尊の説法を聴いても例えば参加した五百人の弟子のなかで、それぞれ受け取り方が違っていたであろうことは当然考えられます。 ある人は、自分に都合のいいように解釈したかもしれません。 また、釈尊の説法自体が、相手の機根によっては正反対にとれるようなものもあったでしょう。 だからこうして五百人の弟子が集まって、一つ一つ慎重に吟味して全員が一致したものを仏説として、教団の共有財産にしていったのです。 池田先生は、 「釈尊の説法は、すべて衆生をして仏道に入らしめんがためのものであった。 経典の結集者も、単に釈尊の言行録を整理するような心構えで取り組んだのではない。 自ら「仏」と同じ境涯に立つのでなければ、釈尊の説法を理解できなかったであろうし、後世に仏説を遺すこともできなかったでしょう。 経文の一字一句が、すべて金文字の仏説であるというのは、そのような意義をもつことなのです。 今われわれが、仏教徒として経巻を持ち、それをもって現代社会に挑戦しようとするからには、仏と同じ境涯、すなわち苦悩に沈む大衆に光を与え、真実の生き方を教えきっていける覚悟がなければならないと思う」 (私の仏教観三十一頁)と訴えています。 Tweet