2014年10月10日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月10日(金)15時35分9秒 通報 また、釈尊の死によって不断の精神の緊張状態から解放されたように錯覚した者もいました。 迦葉尊者は、一人の年老いた弟子の暴言を縁として、釈尊滅後の教団のなかにそうした空気が漂っていることを感じ取ったのだと思います。 ひとつの教団にとって、その最高指導者を失うことは、重大な危機に直面したことを意味します。 あれほど偉大な指導者が死んだのだから、直ちに弟子たちが集まって、釈尊の生前を回想し、その教法を誤りなく後世に伝えようと、経典の結集に力を入れたのは、むしろ当然といえるでしょう。 阿難尊者も、旧知のバラモンに会った時、「世尊が亡くなって次の後継者は誰だ」と聞かれます。 阿難は、 「友よ、そんな立派な方がいる道理はないではないか。 かの世尊は、自らこの道を悟り、自らこの道を実践した方である。 その弟子たるわれらは、世尊の教法を垂範に、後からついていくだけである。 すなわち法の所依がある」(南伝大蔵経 第十一巻)と答えたといいます。 つまり、「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」です。 先の迦葉尊者の話が、教団の「団結と維持」のために、仏典結集を必要としたものとすれば、阿難尊者の場合は、「信仰の依拠」としての経典を必要としたものといえるでしょう。 釈尊も生前から「令法久住(法をして久しく住せしめん)」との一念を強く持っていました。 釈尊は死の直前、集まっていた弟子たちに、 「お前たちは、私が亡くなっても、指導者がなくなったと思ってはならぬ。 私の説いた教えと掟とが、お前たちの指導者である。 お前たちが今、もし疑いを持っているなら、尋ねるがよい。 後になって、私が生存中に聴いておけばよかったと、後悔するようなことがあってはならない。 もろもろの事象は過ぎ去るものである。 努力して修行を完成させなさい」(南伝大蔵経 第七巻)、と有名な最後の言葉を遺して涅槃に入りました。 Tweet