2014年10月6日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月 6日(月)12時06分36秒 通報 佐渡という極寒の地で書かれたこの開目抄で、日蓮が弟子に一番伝えたかった「心」とは何か。 それは「此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし」(種種御振舞御書九一九頁)ということでした。 そして日蓮は、佐渡期において、遂に法華経身読を通じて「主師親の三徳」を体現したという自覚に立ったのです。 伊豆流罪の時に著した「教機時国抄」の結論の御文は何でしょう。 それは、「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者なり」(四四二頁)です。 そして、この法華経の行者とは、「五義」を知る人のことでもあります。 また開目抄で、 「三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし」(二三〇頁)で、論理的には完璧に成立しているのです。 しかし、日蓮の「教」は、自らの法華経の身読で成就し、それで完結するものではありません。 それだけでは、何の価値も生み出すことはなかったのだと思います。 むしろ師の到達点は、弟子の出発点とならなければ、何のために日蓮が命をかけて法華経身読したのかまったく意味が無くなってしまいます。 そのためには、弟子たちに「日蓮が師匠である」ということを信じさせねばなりません。 だからこそ「開目抄」や多くの著述で、繰り返し繰り返し、自らのことを語り続けてきたのです。 そんな日蓮を信じ、遠く佐渡の地や身延山に入られてからも、 多くの「本物の弟子」たちが、外護し、供養の品々を捧げたのだということは想像に難くありません。 そして、日蓮が生涯を通して、命をかけ、肉付けし、 意義付けしてきた「法華経の行者」という言葉が、日蓮の身読以降は、日蓮だけでなく、 日蓮を信じる本物の弟子たちにも同時に「法華経の行者」と呼ばれるようになっていくのです。 Tweet