2014年10月6日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月 6日(月)12時07分48秒 通報 日蓮の仏眼は、常に未来を見つめていました。 自ら立てたこの「法」をいかにして、未来永遠に流布していくか。 どうすれば末法万年の人類を救いきっていけるのか。 その一点に向けられていたと思うのです。 日蓮の境涯(仏界)、また日蓮が体現した「法」が、正確に未来に向かって、永遠に伝持され、全世界に広宣流布していくためには、さらに明確に目に見える「形」で残す必要がありました。 人間の心は、肉眼では見えません。 しかし、行動や言葉によってその心は表現できます。 「人の振る舞い」から南無妙法蓮華経の力用を追求してきた「開目抄」につづいて、 「法」の面からも南無妙法蓮華経の力用を追求する必要がある、と日蓮は考えたのではないでしょうか。 そして、「人本尊開顕の書」である「開目抄」につづいて、 「法本尊開顕の書」と言われる「観心本尊抄」が著されたのです。 「開目抄」と「観心本尊抄」は、読んで頂けるとわかるように、文体がぜんぜんちがいます。 観心本尊抄の冒頭は、いきなり天台の「摩訶止観」の引用から入ります。 開目抄の論理構造である「標示」「解釈」「結論」からいっても、「標示」つまりテーマが飛ばされています。 しかし、開目抄と引き合わせて読むと、観心本尊抄の標示の部分は、開目抄の中に厳然とあることがわかります。 日蓮は初めから「開目抄」と「観心本尊抄」は一体のものとして考えていたにちがいありません。 Tweet