日興上人と立正安国論。②
投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 1日(水)10時26分53秒    通報 編集済
日興上人は、波木井が、神社参詣の可否について「鎌倉方面の僧(五老僧の門流)はかまわない、身延の日興上人は、いけないと言われる。大聖人は入滅された。だれの言うことを聞けばよいのか」と聞いてきた時、こう厳然と教えられた。

「師匠は入滅し候と申せども其の遺状候なり。立正安国論是なり」(編年体御書一七三一頁)

――師匠の大聖人は入滅なされたけれども、その遺された御書がある。「立正安国論」である――と。

師匠なき今、師とすべきは大聖人の遺された「御書」である。
御書の仰せのままにいけば、何を迷う必要があろうかと、根本の姿勢を教えられたのである。
日興上人の「御書根本」のお姿と、日向と波木井の「自分根本」「御書軽視」の姿とでは、あまりにも対照的であった。

私どもは真の僧宝であられる日興上人の「御書根本」の教えどおりに進んでいる。
そして今も「日向の末流」は出現している。
また、次の教訓も見落としてはならない。
「師敵対の人間は、師の教えを厳格に守っている人間を、かえって『外典読み』などと批判する」ということである。

「外道に近い」
「浅い読み方」と悪口は、いわば《自分こそ仏法の奥義(至極)を知っている》との増上慢の表れであろう。
学会も、どこよりも厳格に謗法厳誡を貫きながら、かえって「外道礼讃」などと悪口をされている。
これは「日興上人の末流」としての誉れの証明である。

日向は「外典」そのものを悪のようにさえ言っていた。
日向の邪見に対し、日興上人は、こう破折される。
「聖人の安国論も外典にてかかせ渡らせ給い候。文永八年の申状も外典にて書かれて候ぞかし。其の上法華経と申すは漢土第一の外典の達者が書きて候間、一切経の中に文詞の次第目出度とこそ申し候へ。今此の法門を立て候はんにも、構えて外筆の仁を一人出し進らせんとこそ思進らする事にて候いつれ。内外の才覚無くしては国も安からず法も立ち難しとこそ有りげに候」(編年体御書一七三四頁)

――日蓮大聖人の「立正安国論」も、外典によって書かれているではないか。文永八年の申状(諫暁の書)も、外典によって書かれているのである。そのうえ、法華経というのは、中国第一の外典の達人が書いたので、一切経のなかでも言葉の用い方がすばらしいとされている。今、この大聖人の法門を立てるにあっても、なんとか、外典に通じた文筆の人材を一人、出したいと思っているのである。内典外典に通じた学問がなければ、国を平和にすることもできないし、法を立てることもできないと思われる――。

「外典読み」「外典は僻事(道理に合わず、間違っていること)」などという日向の邪見を破折され、かえって「外典に通じないと、仏法は立てられない」と仰せである。

日享上人は、日向のこの邪見について「まったく無学(普通学)の致すところであり、またこれに共鳴する無理解の真俗(=僧俗)が多かったろうと思わるる。すなわち鎌倉暗黒(文学)時代の低級通念であろうか、あるいは、これを利用して興師を貶視(=下に見ること)したのであろう」とされている。

「無学」ゆえの悪口、邪見であり、あるいは人々の「無学」を利用して、日興上人をおとしめようとしたのであろうと。
「理知」の光がなければならない。「暗黒時代」は完全に終わらせねばならない。

【第一回アメリカ青年研修会 平成三年十月一日(大作全集七十八巻)】