投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月15日(火)02時00分39秒   通報
21世紀への選択 「寛容」が学者・科学者の交流を促進 P80

テヘラニアン
アリストテレスの著作などと同時に、イブン・ルシュド、イブン・シーナ

などの、イスラムの哲学者の著作や思想もヨーロッパにもたらされ、中世のキリスト教神

学の完成に大きな影響を与えました。

池田
これらの学者はアヴェロイス(イブン・ルシュド)、アビセンナ(イブン.シーナ)

と、ラテン語読みにされるほど、ヨーロッパで親しまれ、影響を与えていますね。

とくにイブン・ルシュドは、ラテン・アヴェロイストと呼ばれる後継者たちを、

ヨーロッパ・キリスト教内部に生んでいます。

テヘラニアン
中世のヨーロッパは、閉鎖的な封建公国が分拠する時代が続いていました。

それに比べると同時期のイスラム諸国は、開放的であり、広大な地域にわたる交易と

人々の往来があって、このことが、学者たちが原典に触れることを可能にしました。

とくに、イスラム諸国中のユダヤ教、あるいはキリスト教の学者たちの働きは、見落と

せません。

池田
アッバース朝の首都バグダッドには、イェシヴァというユダヤ教の律法学院ができ

ましたが、ここで『タルムード』(ユダヤ教の律法注釈書)の研究、編纂にたずさわった

ラビ(ユダヤ教の律法学者)たちが、ウラマー(イスラム法学者)と交流を行い、相互に

影響を与えあったそうですが。

テヘラニアン
イスラムが寛容であることは明らかでしたから、学者や科学者たちはどこの出身で

あろうと、対話をし、交流することができたのです。

ムスリムとキリスト教徒が共存していたスペインの例が、代表的なものです。

池田
八世紀にスペインがイスラム圏に入ってから、コルドバやグラナダは、ヨーロッパ

人が先進のイスラム文化に接することができる場所でした。

これらの都市の大学で、ヨーロッパ諸国の学生は科学や芸術を学んだ。

ことに美しいアルハンブラ宮殿のあるグラナダは、別名「ユダヤ人の街」と呼ばれるほど、

多くのユダヤ人が住んでいました。