2017年7月20日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 7月20日(木)17時01分27秒 通報 さらに「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」(一一六九頁) と大聖人は述べています。 日蓮仏法の真実の実践者は、大聖人や三代会長がそうであったように、 決して権力者の支援や弾圧に左右されるものではないのです。 また、形式や立場によるのでもない。 自分自身が御書根本に、三代会長の指導通りに、 実践しているのかどうか――それがもっとも重要であり、 そこにこそ絶対に崩されることのない最高の幸福境涯が築かれていくのです。 大聖人は自らが打ち立てた第三の法門に対する確信を次のように述べられています。 「・・・・父母の頸を刎(は)ねん。念仏申さずば、なんどの種々の 大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」と。 この言葉通りに大聖人は、経文を根本として道理を重んじ、広宣流布の闘争に挑んでいったのです。 その弟子というならば〝正しいことを実践(文証・理証)〟して、 悪口罵詈(現証)されるのは当然で、 むしろ最高の名誉ではないでしょうか。 Tweet