2017年7月20日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 7月20日(木)17時00分32秒 通報 編集済 【理証】 理証とは、幹部の指導する内容や会員が主張する意見が 道理にかなっているかどうか、 理論的に矛盾がないかどうか、 ちゃんと筋道が通っているかどうか、話に整合性があるかどうかを検討することです。 一般世間においてもそれは同じで、科学にしても、政治にしても、友人関係にしても、 矛盾することのない一貫した論理性がなければ信頼や信用はされません。 科学や政治であれば、なおさら普遍妥当性が要求されるのは当然です。 ましてや仏法における教義や指導において、整然とした論理は不可欠であり、 理証があるかないかは文証以上に極めて重要です。 私たちの対象としているものは生命論の世界であり、 単なる物理や化学的手法だけでは解明できない究極の実体を対象としています。 しかし、だからといって宗教を必要以上に神秘的なものとして、 教義に対する「合理的な判断を拒否」するのは、 かえってその宗教自体の無力さを示すものです。 大聖人は 「文なく義なきは信受すべからず」(二一九頁) と天台の言葉を引用して、文証・理証の大切さを教えています。 つまり、文証もなく道理や筋道の通らない指導や意見は、 信じてはならないというのが、仏法の正邪を判断する鉄則なのです。 これが仏法の科学的な姿勢を示したものです。 Tweet