2017年3月13日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月13日(月)14時35分29秒 通報 舌の功徳―― 法華経に「もろもろの苦渋物を食べても皆おいしく食べることができ、 深く清らかで美しい声をもって大衆に法を説くでしょう。 もろもろの因縁や譬喩をもって大衆に法を説くでしょう。 聞く人たちは皆、歓喜してさまざまな供養をする(趣意)」(法華経五四二頁~) とあります。舌の功徳には二種類あり、 一つは「何を食べても、おいしく感じられること」。 二つめは「法を説く、その人の声を聞いて、皆が歓喜すること」です。 池田先生は 「健康で生命がはずんでいる人は、質素な食事であっても、おいしい。 憂いに沈んでいれば、最高のごちそうでも〝砂を噛んでいる〟ようになる。 もちろん〝だから料理がへたでもいい〟ということではないが、 境涯というものは不思議なものです」 と述べました。これが舌の功徳です。 》記事一覧表示 Tweet