2017年3月11日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月11日(土)09時40分32秒 通報 編集済 仏法では、生命の本質を「一念」と説いています。 この一念とは、 唯心論的な「こころ」とか、唯識論的な「意識」といったものではありません。 むしろこの「こころ」とか「意識」は、生命の本質からいえば、 ほんの一部に過ぎず、当然、こころと意識も一念に含まれます。 仏法でいう一念とは、 生命の「実感・形態・性分・法則性・力用・所作(行動)・因果・環境」などの全体を包含し、 しかもそれらを内より統一している生命そのものの実在(不変の実体)を〝一念〟といっているのです。 この一念の変革を完璧に説いているのが日蓮仏法の「事の一念三千」です。 また、一念がどう展開されていくかは〝三千〟という体系でとらえることができます。 この〝三千の体系〟の基礎になっているのが「十界・十界互具・十如是・三世間」なのです。 つまり、三千という展開なくして、一念の実在はなく、 三千のあらゆる相もバラバラにあるのではなく、一つの実在のなかに融和している。 これが一念三千の法門です。 生命の実体は決して外に求めるべきものではなく、また試験管に向かって 生命を研究しても、その本質を解明できるものではないでしょう。 たとえそれで生命の外観は得られても、内に働き、 常に発動している生命そのものに迫ることはできないと思います。 仏法で説く生命論(一念三千)は、生命そのものは自分自身の中にあり、 その生命自体に「直観的・求心的」に迫って、一念の実在を見出し、 それをもっとも完全で、全体的な把握をしたものです。 十界、十界互具、十如是に関しては、もう皆さんはよく御存知だと思いますので、 今回は「三世間論」に的を絞って、その意義を考えていきたいと思います。 Tweet