2017年3月11日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月11日(土)09時42分25秒 通報 まず「十界・十界互具・十如是・三世間」を簡潔にいうと、 生命の一念(一心)は十種類の境涯をそなえています。 その一念の境涯は、瞬間、瞬間に変化し、各界にもそれぞれ十界を相互にそなえています。 観心本尊抄には 「無顧(むこ)の悪人もなお妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり」(二四一頁)とありますが、 人間が悪を重ねていけば地獄です。 そうであっても妻子を思いやり、幸せになってほしいと涙する心もあります。 これが悪の地獄界の人間のなかにも、菩薩界が互具している証拠です。 こうした十界の境涯の中に、十界が互具(百界)した生命には、 さらに十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)という 十種類の普遍的側面をもっています。 如是とは万物の〝ありのままの姿〟という意味で、 生命の働き、作用というものは 「姿・形(相)」「心の働き・性分(性)」「根本の体(体)」 「内在する力(力)」「力が現実に働く(作)」「生命次元の因(因)」 「因の補助的因(縁)」「生命次元の結果(果)」 「生命次元の因果を因としてそれが姿、形にあらわれたもの(報)」 という普遍的側面が、必ず存在します。 そしてそれらは「すべてが一貫して等しい(本末究竟等)」と洞察し、 見事に論理化したのが〝十如是〟です。 この十如是という側面とともに、十界の生命が発現する時、 必ず具体的な個体(肉体・心)の住む「社会や環境」のうえにあらわれ、 そこにさまざまな区別というものが生まれます。 つまり、三世間では十界の生命の具体的な 「色法・心法」への現れや「活動・存在」の面を論じているのです。 Tweet