2017年3月11日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月11日(土)09時39分46秒 通報 さて、話をもどします。 なぜ「低い境涯で、単なる我見と感情で主張しているだけだ」と言えるのか――。 十界互具論で言えば、菩薩界の中にも十界があるわけですから、 菩薩界基底の修羅ならば、当然、邪義に対しては痛烈な反論をします。 その場合 「本より私の語をもって是を難ずべからず。 経文を先として是をただすべきなり」(御書一二〇七頁) との仰せのままに、経文を提示して痛烈に反論するでしょう。 これが〝人を救っていこう〟とする菩薩の境涯の対話です。 そしてこれが法華経の行者の仏道修行です。 六波羅蜜経に「常に我が心の師となって、 心を師としてはならない(通解)」(一〇二五頁)とある通りです。 経文を根本に主張する実践は、立派な仏道修行です。 だから御書を学んでいこう、池田先生の指導を学んでいこうとする一念が大切なのです。 対話、議論、往復書簡を行う場合に必要なことは、人間として同じ土俵に立ち、 誠実に相手の主張に耳を傾けていく、一念の〝姿勢と忍耐〟です。 たとえ全部は納得できなくても、互いに共鳴できる部分を 見つけ出そうと努力する――そこに人格の輝きがあると思うのです。 その先頭に立って、あらゆるイデオロギーを超えて、異文化圏の人間と対話をし、 弟子たちに「対話の手本」を示しているのが池田先生です。 そして、人間革命(一念の変革)運動を世界の民衆に推進し、 その法理を現代に展開してきたのが池田先生です。 Tweet