2016年12月15日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月15日(木)18時10分5秒 通報 みなさんこんにちは!「ちゃあらんじゅ」「はいさい」私は東京の 第2総東京で男子部ニューリーダーをしている、仲本永太です。本日は、 ここ、戸田記念講堂で活動報告できる喜びで一杯です。最後まで、 元気いっぱい活動報告をさせていただきますので、どうぞよろしくお願 いします! 私は、沖縄県石垣島の出身で、現在22才です。恵まれた自然環境にありなが ら、私の家庭はボロボロでした。両親と姉2人の5人暮らしでしたが、物心つい た時には父は酒を飲んでは暴れ、母をなぐりつけ、姉や私にも暴力を振るうあ りさまでした。何か言えば、殴られるという恐怖心から息をひそめ、自分の ,感情を殺し、じっと耐えるだけの生活が続き、気が付くと自閉症のようにな り、学校でも友達とも、うまくコミュニケーションがとれず、気持ちを言葉に できない人間になっていました。 そんな自分にも同じ高校の花城君という,親友がいました。彼の家に遊びに 行くと、必ず「聖教新聞」が目に留まり、聖教という字のイメージから、ずっ と「花城のところはキリスト教をやっているんだ」と思っていました。私は 、将来、料理人になって石垣の実家で料理店を出したい、そんな夢をいだいて 平成10年,高校卒業後、花城君と共に上京してきました。そして、私は社会 人野球で有名なシダックスに入り野球部の寮で食事を作る仕事に、花城君は四 谷のすし屋に就職しました。しかし、東京での仕事は予想以上につらく、毎 週のように2人で酒を飲んでは、職場のグチをこぼしあっていました。特に 花城君の板前修業はきつく、「近々、こいつは仕事をやめるな」と思っていま した。私も明け方の3時起きと大変な仕事ではありましたが、食事から野球部 の送迎まですべてを管理している人がたまたま男子部の方で知らず知らずのう ちに守られていたのです。ある時、その管理人から聖教新聞の啓蒙を受け、 私は「この人もキリスト教か」と思いながら、購読を始めました。ふと一面を 見ていると、どうも様子が違います。なんとなく仏教のような気がする。「我 が友に贈る」って良いこと書いてあるな,と思い,毎日、聖教新聞を読むのが楽 しみになっていました。「そんなある日、2~3ヶ月ぶりに花城君に会うと 、彼はびっくりするほど変わっていたのです。茶髪だった髪の毛が黒になり 、7.3に。やたら明るくなり、仕事もやる気まんまん。しばらく会わない間 に彼は発心し、御本尊様を受けて、創価班として薫陶を受けていたのです。 そしてそれから更に数ヶ月後、花城君から電話がありました。「会わせたい人 がいる」と。私は、酒を飲むつもりでいたので、多い方が盛り上がるなと思い 、その本当の意味を知らず、会いに行きました。花城宅にいた人は、底抜けに 明るくて、話の内容はよくわかりませんでしたが、私はその熱意に圧倒された まま、入会決意をしていました。そして、平成12年4月に、晴れて御本尊様 をいただく事ができたのです。(今、この場に花城君も.来ているので紹介し ます!) 当時、私の願いは二つありました。一つは将来、石垣で料理のお店を出 すこと。もう一つは、子供の頃からの性格を直すことです。父親から脅され 続けてきた環境から、私はごくわずかの知り合いとしか話ができませんでした 。誰とでも仲良く話せるようになりたい--いつもそう思っていました。入 会後、仕事にもやる気が出て、また、野球部の選手の部屋へ遊びに行ったり、 飲みに行ったりできるようになり、何か自分の心を固く凍らせていたものが少 しずつとけていくように感じました。それでもまだまだこの信心に確信を持 てるまでには、いたりませんでした。入会から1年が経ち、中野区から、現 在住んでいる調布に組織が変わりました。皆が楽しそうに折伏している姿に、 『折伏をすればきっと信心の確信が得られるに違いない、自分も折伏をやって みたい』と思うようになりました。しかし、こんなロベたで、友人の少ない 自分には信心の話が出来るほどの相手はいません。それでも1人ぐらいはと思 い、幼稚園から中学まで石垣で一緒だった、川崎に住む大浜君に勇気を振り絞 って学会宣言をしました。ところが彼はまったく興味がなさそうで「あっそ う」と一言。「こいつは信心やらないな」と思い、一気に折伏する気を失って しまいました。10月に任用試験に合格すると、時を図ったかように男子部の吉 上部長が来て、「任用試験の次は牙城会にもチャレンジしよう。今が時だ」と 言われ、面接を受けました。面接の中で、「1月2日は池田先生の74才のお誕 生日なんだよ。師匠のお誕生日を弟子として折伏をもって荘厳しよう」と言わ れたのです。私は、信心する前、聖教新聞での池田先生の言葉に,励まされて 仕事を続けることができたことを思い出し「先生にご恩返しをしたい」と折伏 を決意しました。しかし、相変わらず友人のいない私はとにかく、お題目を あげようと決意。すると、以前は5分でも時計が止まったかのように長く感じ ていたのに、気がつくと1時間2時間とあがるようになっていました。このこ ろ、石垣の実家の母から寮の管理をしている人のところに電話があり、「電話 で話す息子の声が変わった。暗かった息子が生き生きとしており、感謝してい る」とのこと。また、題目をあげて、買い物に行くと、「風呂上がりですか? 顔色がいいね」とまで言われ、小さなことですが、信心していない人も気づく ぐらい、題目には力があると思えるようになりました。その確信と共に「そ うだ、学会宣言をした大浜君にもう一度仏法対話をしてみよう」と思い立ちま した。 私はすぐさま電話をかけ、12月30日に学会の先輩に会ってもらうことが決ま りました。「よし、こんどこそ!」と題目をあげていた時、大浜君から電話が 入り「30日は朝まで飲み会が入ったので行けない。仲本も飲みに来いよ」と言 われたのです。「約束していたのに、ひどいやつだ」「祈ってきたのに、なぜ なんだ」。唱題を続けながらも私の心は乱れに乱れ、悔しくて、涙が出てきま した。しかし1時間が過ぎるころ、「このままあきらめたくない、1月2日ま でに何としても折伏がしたい」という心がわいてきました。もう一度話して みようと思い、今度はこちらから電話をしてみると、飲み会は深夜0時からで 、その時間までは空いているとのこと。そこで30日、男子部の関井本部長・ 吉上部長・丸山地区副リーダーとともに、大浜君の住む川崎に向かいました。 彼の寮の部屋に、いれてもらい、さっそく青年対話ビデオ「future2」を見 せると、なんと大浜君は「まーるよ。すごいですね」と一言。すかさず、「 ばぬん、くぬぅ信心をうがみ、1年ちょっとぐぁだけど、変われたんだ。くぬ ぅ信心はでいじど」と話すと、大浜君は、仲本君は前と変わったよね」と言っ てくれ、さらに、驚いたことに彼は、「学会に入ったと聞いて、いつ俺にも話 してくれるのかと待っていたよ。わーも仲本とやるさ」と入会を決意してもら うことができました!!そして1月4日、大浜君に念願の御本尊流布をすること ができたのです!!今回、折伏には「勇気」と「執念」がいるけれど、真剣に祈 れば必ず心が伝わる、言葉を話すのが苦手な私にもできるということが解りま した。そして、「この信心は本物だ」と、実感し、私が入会以.来、ずっと 求めていた信心の確信をつかむことができたのです。そして家族を苦しめた 父親を憎んできた私が、「父親に本物の幸せを伝える対話をしよう。苦しんで いる母親、姉にもこの信心のすばらしさを話し、一家の宿命転換をかけて戦お う」と決意することができました。本年1月20目ここ戸田記念講堂で行われ た、首都圏牙城会大学校入卒式にて、3000名を前に、私はここまでの活動報告 をさせて頂きました。反響も大きく,会合に参加した友からも「僕もがんばり ます」との声を頂き,お互い大歓喜しておりました。ところが、その記事が2 月2日、聖教新聞に大きく顔写真入りで出るやいなや、石垣の親切な学会員さ んが私の両親にその新聞を届けて下さったのです。私はまだ学会宣言を両親 にしていなかったため、両親と姉が猛反対を始めたのです.連日のように、 「うちは、代々、先祖の仏壇があるのだから、他の宗教には入れない。なんで 創価学会に入ったんだ」「仕事も学会も早く辞めて帰ってきなさい。やめられ ないのなら、東京まで連れ戻しに行く」と、電話が入ってきました。何も悪 いこともしていないのに、一方的に責め立てるだけで、私が学会のこと、自分 がつかんだ確信のことを話そうとしても、全く聞こうとしません。どうした らいいのか悩んでいたところ、男子部の部長・本部長・区男子部長・牙城会委 員長と続続とかけつけてくれて、激励と指導をしてくれました。「この信心 をすると、様々な難がやってくる。親から反対にも合うんだ。任用試験で学ん だ御書に書いてある通りだった」と気づき、題目をあげて必ず.乗り越えてみ せるリと決め、真剣に唱題に励みました。そして、男子部の夜中0時からの 唱題会にも参加を続けていた、3月12日、石垣島の母から電話が入りました。 母は、「私は悩んで、ユタの祈祷師に来てもらい、あんたのことを聞いても らったんだ」と言いました。そうしたところ、そのユタの人は、「仲本さんの 息子は、立派に成長する。東京で必ず料理人として活躍し、親孝行をするため に石垣島に戻ってくる。お母さんのことを一番心配してくれているのは息子さ んだよ」と言ったというのです。そして加えて、「だから、今の息子さんを しっかり応援してあげることが大事だ」と。母は「学会にはまだ賛成できない けど、東京でしっかりがんばりなさい」と励ましてくれました。御本尊への 祈りが、ユタの言葉まで動かし、母の気持ちを180度変えてしまったのです。 「やっぱり、この信心はすごい。」私は諸天善神・梵天、帝釈の存在を確信し ました。 現在、私は、大浜君に続いて入決を取った友人の横山靖晃さんと仏法対話を 重ねています。今は対話して行くことが楽しいと思えるようになりました。 これからも折伏に全力投球して参ります!自分をここまで強くしてくださっ た師匠・池田先生への感謝を忘れず、そのご期待に必ずお応えしていきます。 そしてここ戸田記念講堂に集まった皆さんとともに、沖縄健児の誇りを、胸 に、「対話拡大の波」「広宣流布の大攻勢」を、断じておこしてまいります。 以上!!ありがとうございました! Tweet