2016年11月20日 投稿者:まなこ 投稿日:2016年11月20日(日)08時40分25秒 通報 【池田】 すべての文明にはそれぞれ独自のしきたりや習慣があり、それらが世代から世代へと受け継がれていきます。性にどう対処するかということも、文化の一部として伝承されてきたわけです。それが今日、性教育ということで、何か特別のことででもあるかのように論じられています。つまり、各文化に伝承されてきた性にまつわるしきたりは、人間の生き方というものの一部として主体化されていたわけですが、これに対して今日の性教育は、性を唯物化ないしは客体化しているように思えてなりません。 【トインビー】 たしかに多くの文明には、性に関してもその他のことに関しても各種のしきたりがあり、それらのしきたりが幾度となく変遷を重ねてきています。 今日、われわれのもつ現代文化にあっては、人間は生殖器官や排泄器官を覆い隠しています。 まして、公衆の面前で性行為に及んだり、普通人前でははばかられる、いわゆる排便を平気で行なったりはしません。また、食事作法もきちんと守られています。 食事作法についてはじつにさまざまな様式があり、それぞれが各文化の相違を示すデリケートな指標になっています。ただし、これとても文化の健全度や病弊度を指し示す、確実無比な指標とまではいえません。なぜなら、人間にとって食べたり飲んだりは、たしかに動物としての機能であり、ネズミやウシと共通することではあっても――齧歯類や反芻動物と同じやり方で飲み食いするのでもないかぎりは――別段恥ずかしいと感じることではないからです。 これに対して、排泄とか性交とかの行為となると、文化様式の相違にかかわりなく、あらゆる人間にとって本質的な当惑のたねになります。このため人間は、この生来の機能を果たすにあたて誰でもしきたりを守るわけです。 性はとくに人間に当惑を与えます。それというのも、人間の性欲というものは普通、思春期に至って初めて生じるものだからです。したがって、青年期に入った人々には性に関する正しい知識を与える必要があります。ところがこの教育がまた手際を要します。もし子供が性的に成熟してしまうまで年長者が性を神秘化し、知識を与えるのを遅らせていれば、その結果、子供の好奇心はかえって煽られ、それまで何も知らされずにきたことを憤ることでしょう。これによってその子供が性の強迫観念にとらわれ、性行為に過度の願望を抱くというのはありうることです。その反対に、もし両親が子供の目の前で性行為に及ぶようなことがあれば、子供に対する親の威信は失われ、子供は肉体的に成熟する前にすでに性への関心にとりつかれてしまうでしょう。 このように性教育では、一方の有害なまでに行き過ぎた開放主義、放任主義と、他方の有害なまでに度の過ぎた秘密主義、抑圧主義の、いずれにも偏しない中庸の道をとることはむずかしいのです。 Tweet