2016年11月19日 投稿者:まなこ 投稿日:2016年11月19日(土)09時08分57秒 通報 ◆◆◆ 第一部 人生と社会 ◆◆ 第一章 人間はいかなる存在か ◆ 1 人間の動物的側面 ?【池田】 人間とはいかなる存在であるか、またどうあらねばならないかを考えるとき、われわれは人間もまた動物の一種であり、種々の本能的欲望をもっているという事実を無視することはできません。 そうした本能的欲望はたくさんあげることができますが、ここではとくに性に関する問題をとりあげてみたいと思います。多くの本能的欲望のなかでも、性欲にはとくに強く差恥心がつきまとうため、文明社会においては性を秘密にすべきだという一種のタブー観がありました。ところが、人間のありのままを見直そうとする現代の傾向は、そうした性へのタブー視をことさらに排除しようとして、これとの間に相克を現じています。 現在、性の解放は世界的な傾向として、とくにヨーロッパ、アメリカ、日本などで顕著です。その急激な勢いは現代社会を根底から揺さぶっているといっても過言ではないでしょう。 性を正しく理解することは当然必要ですし、いたずらに隠微に閉ざしておくのもどうかと思われます。それではかえって歪んだ性を助長することになるでしょう。しかし、今日の性解放の状況が、一部でいわれるように人間解放への道であると手放しでいえるかどうかとなると、はなはだ疑問です。私には、ここには何か重大な欠陥があるように思えてなりません。性に対する考え方の基盤に、何かが欠けていると思うのです。 ?【トインビー】 人間は、たまたま動物であると同時に自意識をもつ精神的な存在でもあるという、厄介な、困惑すべき立場にあります。つまり、人間はその本性に精神的な側面をもつがゆえに、他の動物のもたない尊厳性というものを与えられていることを知っており、その尊厳性を維持しなければならないと感じます。このため、人間以外の動物とも共通する、したがって生理的に野獣と同類であることを思い起こさせ、人間の尊厳を損わせるような身体的器官、機能、欲望などに対しては、人間は当惑してしまうわけです。人間以外の動物には自意識がありませんから、自らの身体的資質に当惑するということはありません。自身の尊厳を失う恐れからくる当惑、現実に尊厳を失ったときの屈辱感などは、すぐれて人間特有の問題なのです。 人間の本性にそうした動物的側面があるにもかかわらず、なお人間の尊厳性を保とうとしてこらされる工夫が、いくつかのしきたりを設けることであり、人間はこれによって自らを他の動物から区別するわけです。これは他の動物には真似ようとしても真似られないことです。それらのしきたりによって、人間はその本能的で拭い去ることのできない、生物学的遺産の一部である動物的器官、機能に対処しているわけです。このように、人為的なしきたりを設けて、すべての動物に共通する肉体的器官、機能に対処するという人間のやり方がどこまで進んでいるか、その度合いが人間の文化、文明をおしはかる一つの尺度といえましょう。 Tweet