投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月13日(日)13時32分10秒
<末法の仏の立ち位置 -主師親三徳兼備の根本の「師匠」>

12/8で書いた様に、大聖人に対する私の見解は

末法の仏=末法の法華経の行者=末法の教主=主師親三徳兼備の菩薩仏=永遠の根本の師匠 です。

ここで私の造語になりますが、総別の二義に約して、正宗の見解も入れながら、「師弟不二」について少し書いてみます。

まず一番究極の「師弟不二」、「別しての師弟不二」からはいります。これは、大聖人と日興上人との「師弟不二」です。
別の言葉で言えば、「末法の法華経、の行者」と「その直弟子」です。

この件については正宗と意見は同じだと思います。

大聖人が自分の事を仏と言ってないという話をよく聞きますが、それは当然の事ではないでしょうか。

一番最初の部分で書いた様に、末法の時に出現する「末法の法華経(妙法蓮華経)の行者」はあくまで凡夫僧という立場を離れません。
自分を「仏」だと言ってしまえばとたんに凡夫の立場を失いかねません。
なぜなら、爾善教などでは「仏」というと「厭離断九おんりだんく」- 九界を厭い離れる思想ー というイメージが強く、衆生の「一生成仏」の
思想から離れてしまうからです。

では誰が「末法の法華経(妙法蓮華経)の行者」の本地をあかすのでしょうか。

それが、僧宝である「日興上人」だったのだと思います。
日興上人は大聖人の亡き後、その教えを書写して留め、御義口伝などを書かれて大聖人の末法の御本仏の本地を明かされています。
後年には大石寺を日目上人に任され、後継者育成の為ご自分は重須談所に移り、大聖人の血脈を絶やさない努力をしています。
その生涯を師匠「末法の仏」である大聖人に懸け、多くの人々を正しい仏法に導いた日興上人は
正慶2年(1333年)1月13日、二十六箇条の『遺戒置文』をもって将来の指針を示し、2月7日、88歳をもって亡くなりました。

大聖人の口述を書き留めた御義口伝などがなかったら、大聖人の本意も明らかでない部分もあったと思われます。
それは大聖人に「常随給仕」をされていた日興上人にしかできなかった偉業です。
大聖人の仏法はそういう意味で「師弟不二」の結晶です。
師(仏)と直弟子の、不自借身命の戦いが、末法万年の広宣流布の道を開いたのです。

ですから大聖人の仏法での三宝は

仏宝  日蓮大聖人

法宝  十界具足の御本尊

僧宝  日興上人

です。