2016年11月11日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月11日(金)17時44分31秒 通報 編集済 御本尊に関してはこれまで分析してはいけないという正宗時代からの風潮がありましたが、これからは、そんな悠長な事は云っていられないと思います。 学会の教義が変わっていくという事は、紛れもなく御本尊の相貌も、知らない内に変わっていくという事は必然だからです。 ちなみに、私は以下の須田さんの意見とは、見解を異にしています。 須田さんがそういう意図をもっているという事ではありませんが、 こういう見解が、後に、御本尊の相貌を変えていく弁明に使われるのではないかという事を危惧するからです。 >楊枝本尊はもっとも簡略な形の曼荼羅であるため、その相貌には日蓮図顕の曼荼羅の本質が表れている。 すなわちこの最初の文字曼荼羅の相貌は、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであることを物語っている」< Tweet