2016年11月11日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月11日(金)17時25分9秒 通報 そしてこれは誰も否定しない事だと思いますが、「御本尊」を顕されたのは、確かに大聖人です。 御本尊に顕されている九界の生命は、大聖人の己心の九界です。 妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となった大聖人の己心の九界です。 「法=法身」と一体(法を命で悟った)となった「智慧=報身」、そして、本有の尊形と顕れて現実の世界で無始の十界の生命を 生きながら衆生を救っていく側面は「仏の十界=応身」といえるのではないでしょうか。 一念の心に於いて十界に約せされば事を収むること遍からず 一念三千理事 p408 百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり 一念三千法門 p413 宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、 此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、 此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり 日如御前御返事 p1243 更に 日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、 仏の御意(みこころ)は法華経なり日蓮が・たましひは 南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし、経王殿御返事 p1124 と言われており、「釈迦のたましひ」とは言われてなく、確かに御本尊を御図顕したのは大聖人であるからには、 御本尊に顕された「たましい」は日蓮大聖人のたましいに間違いなく、この御本尊の「人法一箇」の「人」とは釈迦ではなく 日蓮大聖人であります。 Tweet