2016年11月1日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年11月 1日(火)09時09分14秒 通報 御書(P1561) 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」 池田先生(希望の経典『御書に学ぶ』第二巻より) 「第六天の魔王による熾烈な迫害を、はねかえす方途は何か。それは、『大願』に立つ以外にありません。 『一生成仏』を我が人生の究極の願いとして定め、『広宣流布』という仏の大願を我が誓願としていく以外に、法華経ゆえの大難に耐える力は湧現しません。」 ・・・・・・ 自身の境涯革命という変化を起こすポイントは、大願を立てられるかどうかにある。即ち、悩みにおしつぶされ、苦悩のどん底の時に何を想うかです。苦悩を乗り越え、悩みを解決したいのは一体何のためか。それは、自分自身のためという枠内だけでなく、広宣流布のためなのである。 広宣流布のための祈りは必ず叶う。それが法華経の行者の一念であるからだ。自身の行き詰まりというのは、境涯革命のターニングポイントであり、自分中心の信心から、広宣流布中心の信心へと昇華させる機会である。実に、苦悩とは、仏の御計らいである。 戸田先生は、事業はつぶれ、理事長を辞任し、苦悩のどん底の中で、広宣流布は遅々として進まず、いたずらに邪宗教がはびこってしまったのは、私の罪であると懺悔された。そしてそこから、広宣流布という大願に生きられ、圧倒的な大驀進がはじまった。これが妙法であり、宇宙のリズムであろう。 54年問題を乗り越える答えもここにあり、要はいざという時に大願に立てるかどうかである。保身に走るか、大願に生きるか。本門の池田門下を名乗るのであれば、大願に生きなければならない。なぜなら、組織や幹部がどれほど狂おうと、広宣流布は断じて成し遂げなければならないからだ。苦悩の底に沈み、身動きがとれないほど追い込まれている時こそ、「広宣流布を想え」である。 組織悪や、幹部の腐敗堕落が渦巻けば渦巻くほど、広宣流布を念じ、想っていくことが、一生成仏への王道である。広宣流布という高みへと信心を昇華させ、自身の悩みや組織悪を凌駕し、突き抜ける。ここからすべてがはじまる。なにがあってもなくても、広宣流布を想い、生きていく。それが仏である。 結びに エヴェレスト-神々の山嶺より 「足が動かなくなったら指で行け。指が動かなくなったら歯で行け。歯が動かなくなったら目で行け。目が見えなくなったら思え、想え!」 Tweet