投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年11月 2日(水)11時06分15秒   通報
宝冠様

>今の学会の状況は
戸田先生の覚醒を思うとまさに我ら池田門下生の責任だと思います<

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創価学会は、人間主義であってこそ意味(価値)があります。組織は諸刃の剣ですので、人間主義の組織は、信心を深め、会員を幸福にする。組織主義の組織は、不信を増長させ、信心を壊す働きをする。会員1人ひとりの永遠のテーマは、「いかに人間主義の組織であり続けるか」であり、それを死守する責任があります。

「会長が上、会員が下」となれば、これは人間主義ではないから邪教です。宗門の根本的な狂いも、「僧侶が上、信徒が下」という、増長にあった。仏意仏勅足らしめる条件は、人間主義であり続けることであり、組織主義に陥れば、即邪教であるという危機感が必要です。

人は環境に左右される生き物です。だから仏法では、善知識(環境)を大事にします。現場が人間主義でも、中枢が狂えば、その影響は厳然とあります。況や創価学会は、上意下達の組織であるので、中枢(上)からの影響を受けやすい体質です。そして会員も、信心で受け止めますので、たとえ理不尽があったとしても、大人の対応をしてくれます。人の善意や優しさにつけ込むのが魔であり、会員の信仰心を利用し、コントロールするのが他化自在天です。

現場の人間主義を死守しながら、同時に中枢が増長したのなら、破邪顕正の呵責を加えていかなければ、創価学会は守れない。呵責を加える諸天善神は、他のだれかではなく自分自身である。梵天・帝釈・日天・月天を我が身に入れて、人間主義を破る者を、自らが呵責する。諸天の治罰を待っているようでは、魔王の思う壺である。師子王とはまさに、自分自身が諸天となり、戦いを起こす者のことをいう。

池田門下には、人間主義を守り続ける責任があります。池田先生の教えは人間主義であり、その教えを守ってこそ門下です。人間主義を踏みにじり、増長したら破門です。もしも同じ門下の中に、増長する人間が現れた時にどうするか。会員が動揺するからという理由で注意しないのは、偽り親しむ仲であり、真の同志(門下)ではない。やはり、「先生の指導と違うではないか」と指摘することが、増長を破り、その人を救うことにもなる。周りの動揺を重視するのは小善であり、増長を破るのは大善の位置づけとなる。

門下の中でも、門下生を指導する側が増長したら大変です。それは、悪知識となり、思想を歪めていき、壊していく。増長する悪知識というのは、やさしくすればするほどさらに増長する。増長した人間が恐れるのは、いつか諸天の治罰があると待つ人か、それとも自分自身が諸天となり呵責しようとする人か。増長を打ち破る師子王の心こそが、学会精神の体現であり、池田門下なのです。