2016年10月26日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年10月26日(水)12時38分29秒 通報 当時の状況を語った戸田先生の「創価学会の歴史と確信」(戸田城聖全集三巻一〇六頁)を 読めば分かりますが、牧口先生の身は宗門にありましたが、 牧口先生の視点は、すでにその枠を超え、その態度はあくまでも 「一宗が滅びることではない。一国が滅びることを嘆くのである。 宗祖聖人のお悲しみを恐れるのである。今こそ国家諌暁の時ではないか、 何を恐れているのか知らん」でした。 これが牧口先生の心であり、創価学会の原点です。 国家権力に対して諌暁した獄中での戦い(訊問書)で、牧口先生は 「在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を取り入れたところに 私の価値があるわけで、そこに創価教育学会の特異性があるのです。 一応は日蓮正宗に所属していますが、創価教育学会そのものは、日蓮正宗の信仰に 私の価値創造論を取り入れた立派な一個の在家的信仰団体です(趣意)」 (牧口常三郎全集十巻一八八頁)と述べています。 牧口先生は日蓮仏法を「価値論」という視点から、 価値創造の実践力を問い続け〝智慧〟の力を追求したものといえます。 つまり、人間の実践を主題化した創価思想の倫理哲学(多方面の道徳や正邪の基準を考える哲学)です。 また、二分法(有・無)ではとらえ切れない生命こそが〝仏の正体である〟と悟達した 戸田先生の「生命論」は、釈尊の説いた〝中道・縁起〟や、竜樹の説いた〝空観〟等々と 表現される大乗仏教哲学の〝真理〟の現代的表現です。 この戸田先生の生命論は、創価思想哲学それ自体ではないかと思います。 そして、主体的な人間と人間とが調和して、友好的に結びあう世界を目指す 池田先生の「人間論」は、仏法の〝慈悲〟を化儀として確立するもの――つまり 社会理念化するものとしてとらえることができ、社会哲学(社会の在り方について考える哲学)ともいえます。 Tweet