2016年10月23日 投稿者:無冠 投稿日:2016年10月23日(日)20時01分32秒 通報 全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。 2008-4-23 創価学園 特別文化講座『創立者 ダンテを語る』① 徹してこそ才能は花開く 難解な書物にも挑戦した若きダンテ 良書との出会いが人生を変える 一、若き日、私は、「四月」と題して、青春の躍動しゆく心を歌いました。 四月 花は 咲き乱れぬ そして 風と共に 散りゆきぬ 四月 若人の 心の花よ 咲き香れ 若人の 前進の歌も 舞いゆかん 四月 青春の月 若人の月 四月 青年の月 人生謳歌の月 四月 ホイットマンも ゲーテも ミルトンも ダンテも みな 心より歌い 戦い 悩み 進みしは この四月 ボンジョルノ!(イタリア語で、「こんにちは!」) 新しい出発の月、4月に寄せて、創立者の私から皆さん方に真心からの贈り物があります。 それは、皆さん方と語り合いたいと思って準備を進めてきた、第1回の創価学園「特別文化講座」の原稿です。 本当は、ゆっくりと時間をとって、学園で講座を進めたいと願ってきたのですが、世界からの来客等が続いており、なかなか日程がとれません。 そこで、新入生の皆さん方への歓迎の意義も込めて、発表させていただきます。 第1回の「特別文化講座」のテーマに選んだのは、私が、皆さん方と同じ10代のころから愛読してきた、イタリアの大詩人ダンテ・アリギエリです。 ● 真の幸福とは? 一、わが創価学園は、昨秋で創立40周年──。 これまで、私が妻とともに、来る日も来る日も、祈り続けてきたことがあります。 それは、「わが学園生よ、一人ももれなく、幸福の人生を!」「正義の人生を!」、そして「勝利の人生を!」ということです。 それでは、真の「幸福」とは、何か? 真の「正義」とは、何か? そして、真の「勝利」とは、何か? ダンテの生涯と文学は、このことを問いかけている。人間にとって、一番大事なことを教えてくれています。 その意味で、私は、ダンテを通して、皆さんに語りたい。 また卒業した同窓生の方々はもちろん、ともに未来を生きゆく、すべての中学生、高校生の皆さん、さらに後継の使命も深き、すべての男女青年の皆さん方のために語り残しておきたいのです。 さあ、新緑光るフィレンツェの公園のベンチに座って、滔々と流れるアルノ川を見つめながら、ゆったりと懇談するような気持ちで、この講座を進めていきましょう! ダンテは自分に襲いかかった過酷な「運命」を人類のための「価値創造」に変えた人なのです ● トインビー博士が敬愛した作家 一、かつて私は、20世紀を代表するイギリスの大歴史学者トインビー博士と、さまざまなことを語り合いました。 2年越し、40時間にわたる対話です。 「教育論」についても語り合いましたが、博士は、創価教育に対して、大きな期待を寄せてくださいました。 そして、「文学論」がテーマになった折に、私が「好きな作家は誰ですか?」と尋ねると、トインビー博士が即座に名前を挙げられた人物がいます。 その人こそ、ダンテでありました。 それは、なぜでしょうか? ダンテが、自らの大きな苦難や不幸に断じて負けなかったからです。 そして、その苦しみや悲しみを、世界の多くの人々の喜びや幸せへと転換していったからです。 そうです。ダンテは、自分に襲いかかった過酷な「運命」を、人類のための「価値創造」、すなわち「創価」の「使命」へと変えた人なのです。 ● 不屈の人の顔 一、ダンテは、1265年の5月から6月ころ、イタリアの”花の都”フィレンツェの貧しい貴族の子弟として生まれました。 家が貧しいということは、少しも恥ずかしいことではない。むしろ、恵まれない環境の中から、偉大な力ある人間が育っていくものです。 ダンテが誕生した家は、復元されて、今に伝えられております。 私も、27年前(1981年)の陽光まばゆい6月、その生家を青年たちと一緒に訪れました。 石造りで、繁華街の一角にひっそりと立っていました。外壁には、厳しい表情を浮かべたダンテの胸像が埋め込まれております。 ダンテの顔は、「終生不屈の闘争をなせる人の顔」(カーライル著老田三郎訳『英雄崇拝諭』岩波文庫)と言われます。 人生は、すべて戦いです。なかんずく、正しい人生であればあるほど、激しい戦いの連続である。その使命の闘争を、最後の最後まで貫けるかどうか。ここに、人間としての勝負がある。 わが創価学園の「学園魂」とは、不屈の「負けじ魂」です。 皆さん方の先輩も、この負けじ魂で、戦い、勝ち抜いています。 私は、ダンテも歩んだであろう、フィレンツェの細い路地の石畳を踏みしめながら、イタリアの青年たちとともに、大詩人の激闘の導き生涯に思いをはせました。 学園の 負けじ魂 一生涯 無数の花びら 君の生命に ● 伊(イタリー)で『神曲』の朗読会に喝采 一、フィレンツェには、創価の友が喜々として集い合う、歴史と文化薫る「イタリア文化会館」があります。私も訪れました。国の重要文化財にも指定されている良緒ある建物です。 ここには、1865年の”ダンテ生誕600年祭”に、フィレンツェ市庁舎に掲げられた「各都市の紋章」の記録をはじめ、600年祭に関する貴重な費料が保管されています。 一、フィレンツェのあるレストランで、友人たちと語り合った時のことです。その建物の壁を指さして、「ここにもダンテの『神曲』の一節が刻まれています」と友が教えてくれました。 ダンテが残した希望の言葉、鋭い警世の言々句々は、時代を超えて、今でも人々を照らしています。 とりわけ、最近、「ダンテ・ブーム」ともいえる現象が、イタリアで起きているようです。有名な俳優が連続して開催した『神曲』の朗読会には、毎回、5000人もの聴衆が集まりました。 この模様は国営テレビでも放映され、イタリアの総人口約5900万人のうち、実に1000万人以上が見たといいますから、すごいことです。 さらに『神曲』の朗読を収めたDVDも、新たに制作されたそうです。 約750年前の人物の作品に、21世紀を生きる人々が喝采を送る。 ダンテの作品には、現代が渇望する深い精神性とメッセージが込められているのです。 一筋のこの道を進もう 正しし人生を!!負けない青春を! 愛する人を失いダンテは悩んだ ● 皆さんの勝利が父母の勝利に 一、それでは、ダンテが直面した苦難について、具体的に考えていきたいと思います。 ダンテは、少年時代に、最愛の存在を相次いで失うという深い悲しみを経験しています。 ダンテがまだ5歳のころに、母が亡くなりました。さらに、母親の代わりに自分を育ててくれた祖母も、そして父まで失ったのです。 また、理想の女性として慕っていた、ベアトリーチェも20代の若さで世を去りました。 若き日から試練多き人生を生き抜いたダンテら偉人の姿を通して、文豪ヴィクトル・ユゴーは明言しております。 「大きな樅は、唯だ嵐の強い場所にばかり成長する」(榎本秋村訳『ユウゴオ論説集』春秋社書店) その通りです。嵐を勝ち越えてこそ、大樹と育つことができる。これが万物を貫く法則です。 一、わが学園生にも、最愛の父や母を亡くした人がいます。 私も、そうした学園生に出会うたび、全力で励まし、ご両親に代わって見守り続けています。 8年前、卒業を間近に控えた関西創価学園の友と兵庫でお会いしました。 私は、「お父さんがいない人?」、そして、「お母さんが亡くなった人?」と尋ねました。 手を挙げた人に、妻が用意した“お菓子のレイ(首飾り)”を差し上げました。 その時、2度とも手を挙げた高校3年の女子生徒がいました。彼女は、中学2年の時に、お父さんもお母さんも交通事故で失っていたのです。私もよく知っている、素晴らしいご両親でした。 二つのレイを首に掛けて、美しい笑顔の乙女。ともに卒業していく同級生たちから、大きな大きな拍手が沸きました。すべてを分かり合っている同級生たちは皆、彼女の“心の応援団”です。 彼女は、ポケットに両親の写真を入れて、学園生活を頑張りました。おばあちゃんが懸命に面倒をみてくれました。 彼女のお姉さんと妹さんも、関西創価学園生です。3姉妹とも、立派な後継の人材として、後撃たちの希望の太陽となって、使命の道を歩んでいます。 私は本当にうれしい。 「最も深い悲しみ」を乗り越えた人は、若くして「最も深い哲学」をつかんだ人です。 生命の尊さを知り、人生の意義を思索し、人の心を思いやれる、優しく、深く、そして強い人間に成長できる。 目には見えなくとも、生命は、生死を超えて結ばれております。亡きお父さんや、お母さんは、わが生命に生きている。一体不二である。 それを自覚すれば、何倍も大きく豊かな力を出して、この人生を生き抜いていくことができる。 そして皆さん方が勝つことが、お父さん、お母さんの勝利です。 皆さん方が幸福になることが、父母の幸福であり、栄光なのです。 ダンテも、悲観や感傷などに決して負けませんでした。 すべてをバネにして、雄々しく勉学に挑戦し、何ものにも揺るがぬ自分自身を築き上げていったのです。 学園は 意義ある青春 親孝行 ● 朝、早く起きるのも戦いだ 一、ちょうど30年前の昭和53年(1978年)4月、私は、関西創価学園の友に、「この道」の詩を贈りました。 関西創価学園に向かう「一本の道」。 四季折々に美しく、田園が広がり、葡萄や梨が実る、豊かな自然の中の通学路。 そこを、はつらつと登校してくる学園生の姿を見て綴った詩でした。 この道よ この一筋の この道 ああ 交野の路よ 君よ 昇りゆく 朝日につつまれて いついつも あゆみし この道を 忘れまじ 青春の あの日 この日を 乙女の語らいし ああ 交野の路 この時、私は、6期生として入学したばかりの学園生に語りました。 「今なすべきことは、一生懸命学園生として勉強することです」 「一番大事な人生の総仕上げの時に勝てる基盤を、今、作っているのです」と。 そして午後には、自転車に乗って、この一本道を皆で散策しました。 春光の降り注ぐ中、帰宅途中の学園生と楽しく語り合ったことは忘れ得ぬ思い出です。 多くの卒業生が、この「一筋の道」を立派に歩み通し、「正しい人生」を、「負けない青春」を朗らかに生き抜いています。 皆さんも堂々と続いていっていただきたい。 もちろん、楽しい時ばかりではないでしょう。学校に行くのがつらい時も、あるかもしれない。苦しくて、泣きたくて、道を行く足が、鉛のように感じられる時だって、あるかもしれない。 また、毎日1時間、2時間と、長い道のりを通学している人もいる。本当に大変だ。 しかし、朝、早く起きるのも戦いです。雨や雪の中、学校に通うのも戦いです。 一つ一つが、価値ある人生、勝利の人生を築くための挑戦なのです。 自ら誓った「使命の道」「勉学の道」。友と励まし進む「友情の道」。この道を歩み抜いていく人は幸福です。 〈「この道」の詩は、創立者が2000年に、2番、3番を詠み贈った。この折、1番の「乙女の語らいし」が「わが友と語らいし」に改められた〉 ● 古典は人類の宝 一、ダンテは振り返っています。 「私は幼少時代よりして真理に対する愛に絶えず養われた」(中山昌樹訳『ダンテ全集第7巻』日本図書センター。現代表記に改めた) 真理を求めて、学びに学び抜いてきた誇りが伝わってきます。 その向学と探究の精神は、学園の校訓の第1項目、すなわち「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」にも通じます。 では、ダンテの青春と学問は、どのようなものであったのでしょうか。 当時は、今のような印刷機がなかったため、書物は極めて貴重なものでした。一冊一冊、人間が手で書き写したのです。紙も非常に高価なものであった。 本一冊を買うために、葡萄畑を売ったという話さえあります。 本は、「宝」です。古典の名作は、人類が力を合わせて護り伝えてきた「財宝」なのです。 皆さんは、低俗な悪書など断じて退けて、優れた古典を読んでもらいたい。 本を読み抜くことが、すべての学問の土台です。若きダンテは、徹して「良書」に挑戦します。 何ごとであれ、「徹する」ということが、人間として一番強い。勉強でも、スポーツでも、芸術でも、徹し抜いてこそ、才能は花開くのです。 ● 初めは難解でも 一、とりわけ、ダンテは「死」という人生の根本問題に直面した青年時代、哲学書を読むことに没頭しました。 なぜ、人は苦しみ、悩み、そして死ぬのか。 何のために、人は生きるのか。 この人生を、どう生きれはよいのか──。 人間の根幹となる問いかけを持ち、その答えを、人類の「精神の遺産」である哲学や文学に求めていったのです。 ダンテ青年は、“古代ローマの光り輝く英知”である、大詩人ウェルギリウス、雄弁家として名高い哲学者キケロ、政治指導者で哲学者のボエティウスなどの名作を、次々と読破していったといわれています。 なかでも、ウェルギリウスの詩集について、ダンテは後に『神曲』で、感謝を込めて綴っています。 「長い間ひたすら深い愛情をかたむけて/あなたの詩集をひもといた」「私がほまれとする美しい文体は/余人ならぬあなたから学ばせていただきました」(平川弘訳、河出書房新社) 一冊の良書との出あいは、人生を大きく開く力があるのです。 とはいえ、秀才ダンテといえども、最初から、すべてを簡単に理解できたわけではなかった。 ダンテは、キケロやボエティウスの著作を読んだ時、初めは意味を理解することが難しかったと正直に述べています。 真剣に学んでいる人は、知ったかぶりはしない。謙虚です。誠実です。そして、知らないこと、分からないことを、貪欲なまでに探究し、理解し、吸収して、自分の心の世界を広げていこうとするのです。 私が対談してきた知性の方々も、皆、そうでした。 一、思えば、私も10代のころに、ダンテの傑作『神曲』を読んだが、本当に難しかった。とくに当時は、翻訳の文体も難解でした。 しかし、何としても理解したいと、何度も何度も読み返した。そうやって、最高峰の文学を自分の血肉としてきました。 あの残酷な太平洋戦争が終わった翌月、私は向学心に燃えて、夜間の学校(東洋商業)に通い、学び始めました。 たしか、そのころの教材にも、ダンテの『神曲』が綴られていました。 若き日に 難解の神曲 あこがれて 読みたる努力が 桂冠詩人に どうか、わが学園生は、人類の英知が結晶した「良書」に挑んで、壮大な心の旅を繰り広げながら、旭日のごとく冴えわたる頭脳を磨き上げていってください。 最先端のボローニャ大学で学んだダンテ わが頭脳は宇宙大 「努力! 努力!!」で限界を破れ 学園生 世界に雄飛を 君と僕 一、トインビー博士は歴史の現場に立つことを心がけ、世界中を旅されました。私は、その博士に「最も理想的な都市」を尋ねてみました。 博士の答えは、イタリアの学都「ボローニャ」でした。 ボローニャ市は、中世の面影を残す、落ち着いた学園都市です。 現在も、人口約40万人のうち、10万人が学生といいます。ここが、ダンテの向学の青春の舞台となりました。 ● 「あと5分」「あと10分」の挑戦を 一、ダンテは、労苦を惜しまず、学びました。 「われ若し片足を墓に入れをるとも、われは学ばんことを欲するだろう」(中山昌樹訳『ダンテ全集第9巻』日本図書センター。現代表記に改めた) この古代ローマの哲人の言葉を、ダンテは著作に書き留めています。 大事なことは、どこまでも粘り強く、「努力! 努力!」で、自身の限界を一つ一つ打ち破っていくことです。 「疲れた! もうやめよう」──そう思ってから、「あと5分」「あと10分」勉強を頑張れるか。「あと1ページ」教科書に挑めるか。 こうした毎日の挑戦の繰り返しが、大きな力となっていくのです。 一、「学ばずは卑し」 「学は光、無学は闇」 「英知をみがくは 何のため」 これが、「創価教育の父」牧口常三郎先生から一貫して流れ通う、創価の探究の精神です。 ダンテは勇んで学ぼうと、20歳のころから約2年間、ボローニャ大学で勉学に励みました。 ボローニャ大学の創立は、1088年と伝えられている。実に、920年の伝統です。誉れ高き世界最古の総合大学であり、「母なる大学」と讃えられております。 ダンテが活躍した13世紀には、すでに最先端の学問が脈動する「英知の城」として発展を遂げていたのです。 ● ここにも友が! 一、1994年の6月、私は、皆さん方の創立者として、このボローニャ大学から、名誉博士号をお受けしました。 そして、400年の歴史を湛えた大講堂で「レオナルドの眼と人類の議会──国連の未来についての考察」と題して、記念の講演を行いました。 〈創立者が、これまでに受章した世界の大学・研究機開からの名誉学術称号は「234」。海外の大学・学術機関での講演は32回を数える〉 ここイタリアの天地でも、学園1期の先輩をはじめ、懐かしい創価同窓生が頑張ってくれていました。 当時、ボローニャ大学には、東京校15期の友が留学していました。 彼は創価大学時代に、イタリア政府の国費留学を勝ち取り、私の大学講演にも駆けつけてくれました。 わが学園生とともに、私は「世界一」の大学で講演に臨んだのです。 東京創価小学校出身で創価女子短期大学6期の友は、ミラノ大学法学部に入学。苦闘を経て、見事に大学を卒業。修士号も取得しました。 芸術家を志していた関西校3期の友は、現在、新進気鋭の画家としてイタリアで活躍しています。 しかし、順調に進んだ人なんて、一人もいません。皆、人知れぬ苦労を乗り越えて、自らの夢を実現してきたのです。 お金もない中、アルバイトをしながら、勉強をやり抜いてきたのです。 学園時代の「誓い」を果たすために! 後に続く、後輩たちの道を開くために! 今、全世界で、わが学園出身者が活躍する時代に入りました。創立者にとって、これほど、うれしいことはありません。 ボローニャ大学の講演を、私はダンテの『神曲』の一節で結びました。 「恐れるな」 「安心するがよい。/私たちはだいぶ先まできたのだ、ひるまずに、/あらゆる勇気をふるい起こすのだ」(野上素一訳『筑摩世界文学大系11ダンテ』筑摩書房) ● この言葉を、すべての同窓の友に捧げたい。 一、世界に開かれた創価大学は、ボローニャ大学とも教育交流を行っています。 毎年、創大生がボローニャ大学に留学しています。ボローニャ大学から創大へお迎えした留学生も、創価学園を訪問し、友情を結んできました。 ボローニャ大学には」ダンテの胸像が置かれていました。そこには、彼が学んだ「1287」という年が刻まれていたことも思い出されます。 ダンテは、ここで、弁論術や哲学をはじめ、天文学や医学などの高度な科学知識を学んだとされます。 その成果は、『神曲』にも存分に反映されています。 『神曲』には、古代ギリシャ、古代ローマの名著、さらにアラビアから伝わった最新の自然科学などから学んだ、膨大で多様な知識が網羅されており、当時における「百科全書」とさえ言われているのです。 ● 「慣性の法則」が『神曲』の中に 一、わが東京校、わが関西校をともに訪問した、ブラジルを代表する天文学者モウラン博士と私との対談でも、二人に共通する若き日からの愛読書であった『神曲』が話題となりました。 モウラン博士は語っておられました。 「ダンテの『神曲』については、私自身、今も研究を続けています。 『神曲』は、13世紀から14世紀のイタリアに豊富な天文学の知識があったことを示しています」 幅の広い、そして奥の深いダンテの学識は、今なお多くの研究者から感嘆されております。 3年ほど前にも、イタリアの研究者が、ダンテの先見性について、イギリスの科学誌「ネイチャー」に発表し、世界的に話題を呼びました。 近代科学の父ガリレオ・ガリレイの約300年も前に、ダンテが力学の「慣性の法則」の基本原理を理解し、『神曲』に綴っていたというのです。 それは『神曲』で、ダンテとその師匠が、怪物の背中に乗って空を飛ぶ場面です。 そこでは、こう表現されています。 語学の翼で世界に羽ばたけ 「彼(=怪物)はゆっくり泳ぎながら進み/廻転しながら降りて行ったが、下から私の顔に/吹きつける風によらねばそれを感じなかった」(前掲野上訳) 怪物が一走の速度で飛んでいたために、顔に風が当たらなければ、自分が動いているのが分からなかった。ダンテは、そう記しているのだ──研究者は、こうとらえて、目を見張りました。 「慣性の法則」によれば、動いている物体には、同じ速度で動き続けようとする性質があります。 例えば、高速で飛ぶ飛行機の中で人間がジャンプしても、また同じ所に着地します。飛行機の中にいるとあまり感じませんが、人間も、飛行機と同じ猛スピードで動き続けているからです。 この「慣性の法則」を、ガリレオが17世紀前半に発表する前に、ダンテが鋭い直観で把握し、描き出していたと指摘されているのです。 一、ともあれ、若き皆さんは「学ぶことは青春の特権なり」と心を定めて、進取の気性で知識を吸収し、時代の最先端を進んでいぶてください。今は、あまり身近に感じられない勉強も、真剣に学んでおけば、絶対に無駄にはなりません。 学んだ分だけ、皆さん方の脳という”宇宙”に、新しい”星”が誕生するようなものです。その積み重ねによって、頭脳は、壮麗な銀河の如く光を放ち始めるのです。 わが学園生は、日本を代表して「国際化学オリンピック」「国際哲学オリンピアード」などにも出場し、世界最高峰の水準で探究を広げている。 歴史を振り返ると、多くの独創的な発見が、若い、みずみずしい頭脳によって、成し遂げられてきました。 皆さん方の頭脳こそ、未来の希望です。どうか、胸を張って、世界と対話しながら、人類の新しい知性と創造の道を切り開いていっていただきたいのです。 名作『赤毛のアン』で知られるカナダの作家モンゴメリは、学び求める青春の息吹を、こう歌い上げております。 「私の前には、これから出会い、学びゆく広大な世界が広がっているのだ。 そう気づいた時、私は歓喜に震えた。未来は私のものだ」 ②に続く Tweet