2016年10月22日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月22日(土)07時21分1秒 通報 編集済 ●直球勝負 創価高校(東京)元野球部員 牛牧英二さん 僕が初めて池田先生にお会いしたのは、高校1年生の ときです。昭和60年1月31日、池田先生は創価 高校の甲子園合宿所に来られて、僕たち野球部員を 激励してくれたんです。 「3割から3割5部の障害があっても、ジェット機が 飛ぶように巻き込んで前に進みなさい」 「君たちの時代に甲子園に行きなさい」 どう説明したらいいのかな、とにかく先生の迫力はスゴイ んですよ。僕たち高校生に対しても全力投球、まっすぐに 思いのたけをぶつけてこられる。池田先生は、高校生の 僕たちにも、世界の著名な方にお会いするときも、いつも 直球で勝負されているんだなって僕は感動したんです。 その日、合宿所の前で一緒に記念撮影をしました。先生は 「この写真はお母さんに送ってあげよう」とも言われてね。 先生は両親、とくに母親を大切にということを学園に来る たびに話されるんです。親元を離れ東京で寮生活をしている 僕たちには、それって何よりも温かい励ましだった。 と同時に、遠くで見守ってくれている母親にも嬉しい言葉 だったと思うんです。とにかく池田先生は、僕たち学園生に 対して、あらゆることに気を配られていました。 会食会を開いてくれたり、生活用品やジュース、パンの 差し入れをしてくれたり、親のように温かいんです。 その年、秋の大会が始まる前にも先生は会食会を開いて くださり、野球部も全員参加させてもらったんですよ。 スキヤキの会食会でした。 僕たちは「よ~し、甲子園へ行くぞ」と気合が入りました。 結果は残念ながら初戦で負けちゃったけどね。 高校3年生の夏、栄光祭(学園の文化祭)の日に初戦突破の 報告を池田先生にできたときはもう感無量でした。 最初、試合は2対1で負けていたんです。その日は栄光祭で 池田先生が学園に来ているでしょう。負けの報告はしたくない。 とにかく無我夢中で試合をやって、僕はその日2安打3打点、 逆転打を打って試合にも勝ったんです。 試合を終え、ユニホーム姿で学園に戻り、勝利の報告をした ことは忘れられません。野球部での3年間は、「創価高校の 野球部が甲子園に出ることは、野球で広宣流布するということ なんだ」という先生の言葉を胸に必死に練習に励みました。 今振り返ると、きつい練習のなかで頑張ってこれたのも、先生が 「自分たちの人生で勝利するんだ」という指針をくださったから じゃないかと思います。僕たちの時代には残念ながら甲子園には 行けませんでしたが、「人生の甲子園」では勝利していきたいですね。 ●ダブダブセーターの思い出 創価大学国際部長(1995年当時) 北 政巳さん 昭和50年3月、僕は30歳のときに創価大学の在外研究の機会を 得て、イギリスのスコットランドに留学しました。僕は池田先生 からことあるごとに激励を受けてきました。そのお礼に贈り物を しようと思い、グラスゴーの百貨店で真っ青なセーターを買って 日本に送ったのです。僕にとっては先生への初めてのプレゼントでした。 ちょうどそれから約1ヶ月半後のことです。池田先生がロシア、 パリの訪問を終えてイギリスにいらっしゃると聞き、僕もパリまで お迎えに出かけたんです。会って驚いたことに、僕がプレゼントした セーターを先生が着ておられたんです。 でも、「シマッタ!」と思いました。イギリス人と日本人ではそもそも 体型が違うでしょう。当然、同じサイズでも日本のそれより大きいんで すね。僕が先生に贈ったセーターは、腕やお腹の部分がだぶついていて、 見るからに大きめだったんですよ。でも、先生はそんなことにはまったく 無頓着。かえって「君がくれたセーターを着てきたよ」と言わんばかりの 様子に、僕は非常に感動しました。先生は、真心には真心で応えてくださる 方なんだなと思いました。そのときのことを思い出すたびに、先生の優しい 思いに今でも胸が熱くなります。 Tweet